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「象の墓場」ー名無しの先生ー

ふと目が覚めたら、3時40分。私は眠りが浅くて、いつもこんな時間に目が覚める。暗い部屋で天井を見上げてみるけど、今夜も眠れそうにない。こんな時間は、いつも先生のことを思い出すのです。

18歳
私は受験に失敗しました。担任の先生が必死に入試に間に合う短大を見つけてくれました。それは不便な山の中にある新設の短大でした。もう後がないので、すがるような気持ちで受験に挑みました。

その短大は、女子中学、高校、短大とエスカレーター式で、約8割の学生が入試を経ずに入学していました。恵まれた家の煌びやかなお嬢さんたちが通っていました。そんな学生の間で、必死に入試を乗り越えてきた私は明らかに浮いていました。

教室
入学すると教養科目で単位を取らねばなりませんでした。その科目は、地味でかびくさい科目でした。講師の先生はもっさりとしたおじさんで、明らかやる気がなさそうでした。学生も先生にとっても、どうしようもなく退屈な時間でした。

いつものざわついた教室で、何を考えたのか先生が「ここで代わりに喋らんか?」
教室の一番前に座る私に言いました。私はそのいい加減さにカチンときました。

「あのね、先生は給料もらってんだから、自分でしゃべりなさい。お仕事でしょ」

と言いました。すると「そやな」と急に講義を始めました。その内容たるや、かろうじて日本語だと理解できましたが、まったく理解できない難しい内容でした。先生の本当の姿を見たようで、教室中が静まりかえりました。

あとで知ったのですが、先生は日本有数の大学の教授で、頭数を揃えるために頼まれて、イヤイヤ引き受けた仕事だったそうです。

それ以来、私と先生は少しずつ話をするようになりました。寂しがりやのようで、授業がなくなっても、よく私を探しにきていました。周囲が、私のことを猛獣使いと同義語で、おっさん使いと言っているのも知っていました。

年に1度のお茶の時間
ある日先生は、私とその友人が〇〇市から通っていることを知り、「近くに面白い場所があるから連れていってやる。」と言い出しました。そこで私と友人は、先生の友人が働いているという障害者施設のフェスティバルに連れられていきました。

これをきっかけに年に1度、フェスティバルの日に、先生と私と友人が集まる行事が始まりました。いつのまにかフェスティバルには行かずお茶を飲むだけの集まりになりました。先生がフランスへ留学したり、私も結婚したり、友達が結婚して遠くに行ったりすることもありましたが、途切れながらも、お茶や手紙のやり取りの交流は続きました。

月日は流れ、私は40歳になり、出会ったころの先生と同じぐらいの歳になりました。自分がこんな歳になるなんて信じられませんでした。ちなみに先生は出会った頃からおじさんなので、まったく変わっていません。

「象の墓場」
ある日、病気で今年は会えないと葉書が届きました。年賀状で手術をしたと書いてありました。5月が近づくと「どうしても論文を書き上げたいから、あと2年は生きていたい」とありました。残された時間を必死に研究に打ち込んでいるのでしょう。

「論文が完成したら、あともう1度フランスに行きたいと書いてありました。」
海外での研究が主流だったので、まだまだやりたいことがたくさんあるのでしょう。

なんとなくもう会えないとわかっていました。先生は、寂しがりやだけど、その姿を私に見せることもなへ「象の墓場」に行くのだと思っていました。

葉書も長く途絶えた、ある日、研究業績をまとめた遺稿集が届きました。どうせ見ても難しくて理解できないからと、1度も開かず実家の本棚に押し込んできました。たぶん私は、先生の死を認めたくなかったのです。

寂しがりやの先生は独りで「象の墓場」に行ってしまったのです。心に小さな穴があいたようでした。

先生の生きた場所
また少し時間が過ぎ、私は離婚して独りになりました。そして知らない町に引っ越しました。新しい街を探検していると、小さな公園がありました。看板に「石器人のアトリエ」とあり、さらにフランス語で「Atelier de l'âge de pierre」とありました。

「先生がここにいた。」私は直感的に理解しました。ここはかつて先生から発掘場所の1つとして聞いたことのある地名でした。それにこんな洒落たタイトルは、きっと考古学者である先生の命名です。

私は先生の葬儀を知らず、その死を証明するのは遺稿集だけでした。お墓もどこにあるか知りません。だから先生は「象の墓場」に行ったと自分に言い聞かせてきたのです。やっと私は、ここで先生と再会できたのです。

「ときどきここに来て、お話しましょうね。もう寂しくないよ。」

先生はもういないけど、この公園に来れば近くにいることを感じます。私は独りだけど、独りではない。そんな不思議な気持ちで満たされていました。

いつか私も「象の墓場」へ向かうその日まで、もう少しこの場所にとどまろうと思います。。

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