明治を生きた曽祖母と令和を生きる娘
娘はコロナ禍に社会人生活がスタートしました。県を超えての往来が禁止されるギリギリで引っ越しを終え、逃げるように退散しました。
入社式、新人研修もオンライン、家に缶詰状態での新生活で、心の健康が損なわれていました。落ち着いた頃に部屋を訪れると、酷いゴミ屋敷状態でした。荒廃した彼女の心の中そのものでした。心の不調と体調の不良が連動していることを目の当たりにしました。私は黙々と掃除をして、5時間15分後にやっと座ってお昼ご飯を食べました。
以来、息子が不在の時に、娘を訪ねるようにしました。少しずつ新生活のペースができた頃、初の海外出張に行くことになりました。現地で約1ヶ月に渡る隔離生活、その間ホテルを3カ所移動していました。連日、テレビ電話やメールをしていましたが、異国での隔離生活は日本で見ていても辛いものでした。
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「私は好景気の時代を知らない。生まれた時から不景気、不景気だと聞いて育ってきたよ。」
「入社2年目で給料が減った!なんのことない前年度の税金と住民税が課税されたからやわ・・・」
「GU しまむらで生き延びてるけど、お金があればもっとオシャレで良いものを着たいよ。」
娘がボヤきます。バブルの残りがが残る私が生きた時代は、卒業する3月になっても、どれだけ成績が悪くても就職先がありました。私が就職した時代に味わったことのないことを娘が経験しています。
加えてコロナ禍で学生時代を奪われた上に、ため息が聞こえてきそうな物価高です。
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いま明治・大正期を生きた曽祖母の生涯について調査をしています。曽祖母は20歳で結婚、夫と幼い子どもとでハワイへ移民、そこで第2子を産み、第3子を身籠ったまま帰国・・・事実を並べていくだけで波瀾万丈な名も無い庶民の生涯です。
私は明治に生まれなくて本当に良かったと心底思っています。しかしながら令和を生きている娘の苦労も、比較はできませんがそこそこ大変だと思います。ちなみに私はどちらもまっぴらごめんです。
「生まれた時代は選べない。」朝ドラ「芋たこなんきん」での台詞です。誠にその通りです。生きる時代は誰も選ぶことはできません。ただひたすらその時代を生きるしかありません。
いまを生きている私ができること、明治期に曽祖母の生きてきた人生を思い起こすとともに令和に生きる娘とこの時代を観察していこうと思います。
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