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孤高のゴジラ

私はある人に言いました。

「あなたのその無神経さはゴジラですな。ゴジラは巨大すぎて、自分の踏み潰した後が、どんなだか気もつかない。その足の裏に死屍累々、倒れた家屋があり、その人たちの生活があることを。まして尻尾をズルズルと引きずったあとなんて、想像もしていないのでしょう。」

「なるほど上手く言うね。足の裏に人の生活があるのか。なるほど、ただ真っ直ぐ前を向いて歩いているから、周りに人がいなくなっても気がつかない。数年すぎてから、あれっ、みんな何処に行ったんだろうとなる。でもね、まあいいかーとまた前を向いて進んでいくんだよ。」

 ゴジラはそれでも前進していく。己の行きたい場所に行くために、手段を選ばないのではなく、たまたま足の裏に何かがあっただけなのだ。ただ真っ直ぐの方向、足の裏尻、尾の下にあるものがなんであるか、想像する必要がないからだ。

 心底ゴジラが羨ましい。どうして私は、周囲の人のことを気にしているのだろうか。私のどこかに人からよく思われたいと言う、「思いやり」を気取った心があるからだろう。人に気遣い、自分を押し殺して動けなくなってしまうより、踏み潰して歩くぐらいの強さが、心底羨ましい。相手の心を思うばかりに、いつの間にか自分を無くすぐらいなら、ゴジラのように、真っ直ぐに行きたい方向に向いて歩いてみたい。

 人類ただ1匹の希少種として生きて、死んでいくのも悪くはないだろう。手始めに私はミニラのサイズで歩いていこう。いつかゴジラのように大きくなればいいだろう。周囲のノイズを気にせず、自分の行きたい方向に進路を進めてみるって、悪くはないんじゃないかな。


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