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【短編小説】あなたは人間だった

信じられないスケジュールで原稿を書き終えた。このところ、自身最速のペースで執筆をしている。

私も文筆業のはしくれだ。もっと早く、更に丁寧に読者やクライアントの望むものを書かなくては。

デビューからそろそろ一年。不思議と、今の私の胸を支配するのは、夢を叶えた達成感などではなく将来への焦燥感だった。

こんなはずではなかった。「なりたかった」ものは、自分と融合することで、「ちっぽけな自分」の一部になってしまった。

それが、今はたまらなく悔しく悲しい。

一年前の自分は一年後の自分に、自身のことで胸を張れる人間になっていて欲しいと、僅かな望みを掛けていたというのに。

次の締め切りは月末だ。それに向けて何か書かねば。

そう思ったのに、白紙のメモ帳を開いていた。明日、1月18日は私の30回目の誕生日だ。

人生は短い。思えば、あの頃が昨日のようだ。

あの頃、どんなに必死になっても、どうしても上手に生きられずに毎日泣いていたあの子は、「私」を見て何を思うのだろう。

――17歳の亜紀へ。

宛名を書いたまま、その先が駆けずに何度も「→」キーで行ったり来たりを繰り返していた。

しかし、結局続きが書けないまま、気づけば眠ってしまっていた。

『亜紀さん、岡崎亜紀奈さん』

私が目を覚ましたのは、真っ白い空間。いわゆる異世界転生もののテンプレ的な「あの」空間だった。

これまたお約束通り、神様っぽい神聖なもやもやが私に語り掛けてくる。

マジか。いくら頭のおかしいスケジュールとはいえ、寝ないで物が書けるタイプではない私が過労死だなんて。

『大丈夫です。まだ死んでいません』

って、違うのかよ。

神様的な声は、私の心の声を読み取るらしい。これもお約束だ。

そうだよ。これは私の夢だし。そりゃあ想像に無いものは再現できないでしょうに。

あぁ、そうだよなー、一度は書いてみたいよなぁ、転生系。

『亜紀さん。あなたは今日で三十歳を迎えます。私からあなたにささやかなプレゼントとして、ひとつ願いを叶えてあげます』

……願い。特に無かった。

正月に冗談で言ったつもりのTwitterでしくじったものの、今すぐに彼氏が欲しい訳ではない。

物欲もこれといって今は困っていない。

正直、のどから手が出る程仕事は欲しいが、直近でこれ以上のスケジュールは入れられない。

私の望みは――

「手紙……。あの頃の亜紀に、手紙を書きたいから取材をさせて」

それは――後先考えないでしょうもない選択ばかり重ねてきた「私」にふさわしい願いだった。

 * * *

目が覚めると、駅前のロータリーだった。

目の前を、ブレザー姿で俯いている黒髪のショートカットの女の子がとぼとぼと歩いていた。

華やかさの欠片も無い茶色のマフラー、学校指定の厚手のPコートに、どぎつい色のピンクのコサージュ。

そのちぐはぐさは、まさしく『亜紀』だった。

「……マジかよ」

私はポケットからスマホを取り出すと、そこに記されていた時代は、『2004年 12月24日』。クリスマスイブだった。

彼氏も友達もいない。居るには居るけど、一人になりたい気分だったのだろう。今でもその心境は分かる。

亜紀は、この日の直前に、今でも消えない傷となった痛すぎる失恋をしている。

取材をしたいと願ったものの、今でも消えない傷を喰らった数日後にタイムスリップさせろなんて言っていない。

大人になった亜紀は、上司の取引先に自分の要求がうまく言えないダメ社会人なのだった。

「ねぇねぇ、そこの女子高生」

私は亜紀に駆け寄り、コートから名刺入れを取り出した。部屋が寒くて良かった。コートに名刺を入れっパでよかった。

とりあえず、ここは話しかける一択だ。神様が与えてくれた仕事を放棄するのは流石に気が引けるし、正直、あのトラウマ大失恋を止められないんなら過去を変えたいみたいなことは特にない。

この頃の『亜紀』は、一時的に大人しか信頼できなくなっている。私が大人であるところを見せれば話ぐらい聞いてくれるだろう。

まあ、この後の人生でも『私』は大人を信用しすぎる傾向になってしまうのだが。

「や……」

「やお、です。変なアテ字ですよね。えっと、この辺出身の小説家なんですけど茨城のこと、色々調べてて。よければお話聞かせてくれませんか?」

亜紀はあの頃から新聞記者にあこがれてたし、これで簡単に釣れるだろう――

「嫌です。失礼します」

だが、私の目算は外れて亜紀はすたすたと猫背のまま行ってしまう。

そうか、コイツ――。私の家は厳しかったし、私はしっかり親の言いつけを守る子供だった。

まあ、うちの親はヌケていたので、規則を守ることよりも抜け道を考えるのに知恵を絞る方が成長につながったと反省しているのだが――。

それは置いといて、「怪しい人にはついて行っちゃだめ」というルールを高校生になっても遵守しているのだった。

「高橋くん!!!! あんた、高橋くんにフられたでしょ。重いって。付き合っても無いのに重いって!」

亜紀は小さな目を見開き、恐る恐るこちらを見た。

なりふり構っていられない。取材のためだったら何だってしてやる。

「……何で」

「あたしが三十になったアンタだからだよ」

こういうのって隠しておくのがセオリーなんだろうなぁ。取材なのにバカだよなぁ、私。

それでも――あの頃の亜紀は、きっとこう思っただろう。

「私、三十まで生きれたの?」

亜紀は本当に私の予想通り、こう言ったのだ。

きっと、亜紀は今から死ぬ気でいたんだろう。

まあ結局、失恋で大事な人生を棒に振れないと、自殺なんてやめにしたんだろうけど。

私が『亜紀』だった頃、毎日毎日、曖昧な自意識と自己否定感と周りの過剰な「いじり」に押しつぶされそうになっていた。

あの頃の私の願いはただ一つ――『普通の人間になりたい』。それだけだった。

今だってそうだ。自分たちよりだいぶ上の世代のアニメの歌詞、『早く人間になりたい』という言葉を聞くと涙がにじむ。

私は来る日も来る日も自分がある日突然『普通』に変化することを願い続けていた。

声に出したことなんてなかったと思う。

その言葉を言う代わりに「死にたい」とか、もっと直接的でわかりやすく、負の威力の高い言葉にすり変えていた。

私はあの頃――頑なな程に、自分のことを化け物だと疑わなかった。

結局、他者の評価も相違なかっただろう。

高校卒業後、高橋くんの友人に、mixiでとんでもない陰口をたたかれているのを見つけて落ち込んだものだ。

『みんな、私を化け物だと思っている』。

それを認めるのが怖くて怖くて、今でも高校の頃の友人のほとんどとは今は連絡を取っていない。

――とまあ、亜紀との取材にそろそろ集中しようか。

「あんたが死ぬのを踏みとどまったから、今の私がいるんだよ」

「…………」

亜紀は唇を噛んで私を見つめていた。泣くのを必死にこらえているのだろう。

でも、亜紀は結局ぽろぽろと涙をこぼしてしまった。昔から涙を堪ええるのがへたくそだったから、大人になった今でも悔しくて泣いてばかりだ。

在宅業務は良い。いくら泣いても人に見られない。

結局、亜紀は私に抱き着き、声を上げて泣きはじめた。

「うわあああああああ、えぐっうああああああ!!」

この子は、初めての恋で舞い上がって失敗しただけだ。

その姿は、化け物なんかじゃなくって、ただの人間の女の子だ。今ならばわかる。

確かに舞い上がり過ぎたし、いろんな妄想をして色々語ってしまった。

恋の楽しさと、恋をしても叶うはずがないという自虐のバランスが崩壊していて、常に誰かに相談ばかりしていた。今風に言えば「こじらせて」いた。

その「こじれ」はあまりに大きすぎる罰に変わる。

私の告白は、『公開処刑』だった。

修学旅行先のホテルで、部屋で一人きりになって内線を繋いで想いを伝えた。

その先に、男子が20人ほど詰めかけていることも知らずに――。

あの告白は、たくさんの男に笑われて幕を閉じた。

以来、私は男性恐怖症をこじらせるのだが、それはまた別の話。

大人達の一部は、そんな私に同情したのだろう。

なんとなく、噂は流れていたのだろう。数学の先生がやたら私のことを気にかけてくれたのを覚えている。彼の存在は本当にありがたかった。

多分、この事件を家族が知ったら保護者会議を掛けられていたかもしれない。

親は私に過保護だった。保護するべき対象だと思っていた――きっと、私が大人になってから発達障害だと言われるのをなんとなく分かっていたのだ。

とにかく、亜紀はこのことを大事にはしたくなかった。大人に知られるには、あまりに恥ずかしいことだった。

だから、私がこうして未来からやってきたのは、亜紀にとっては最大の幸運だったのかもしれない。

私は亜紀にとって、秘密を共有できる唯一の大人だ。

亜紀はずっとずっと、悲痛な声をあげて泣いていた。

いいんだ。仕方のないことだ。このことばかりは、今までの些細な「悔しさ」とはくらべものにならない。

人目をはばからずに泣いたっていい。じゃないと、30歳になった今でも思い出し泣きしてしまうから。

「亜紀。あんたは最初から人間だよ。あなたが出した本は、今後Amazonレビューでくっそみそに書かれるけど、きっとあなたを苦しめた何十人かの男子よりたくさんの人を幸せにしたよ。だから、あなたは人間でいいんだよ。化け物なんかじゃないんだよ」

その涙は無駄にならないとは言えなかった。多分、亜紀はこのことを思い出す度に泣き叫ぶことになるだろう。

それでも、亜紀の辛さを理解できる大人がいて良かったと思った。

「亜紀、あんたが毎日必死に生きてくれたお陰で夢が叶ったよ、ありがとう」

気づけば、私の声も涙が混じっていた。彼女の少し癖のついた黒髪を撫でると、私はもう一度亜紀を抱き寄せた。

きっと、お別れの時間は近い。意識が少しずつ遠のいている。

「あんたが大学生になったら、高橋くんたちみたいな子をやっつける小説を書くから。だから、楽しみに待ってて」

亜紀はなんども頷いていたが、これは嘘だった。結局、私は高橋くんの思い出の処理をしようと躍起になったが、物語の中でも彼を悪役にはできなかった。

「あの……」

いよいよ意識の糸が切れそうになった時、亜紀は泣きはらした目を細めてこう言った。

「小説家の夢、叶って凄い。おめでとう!!」

亜紀は、やっぱり人間だ。化け物なんかじゃない――

そう、私も。『私』も自信をもっていいんだ。

『17歳の亜紀へ

あなたは人間です。

お調子者で、立派な人間じゃないですが

ちゃんと人間です。

だって、人間じゃなければ

物語は書けないと思いませんか?

サボらないで頑張って勉強してね。

今、私はあなたの勉強不足のせいでとても後悔しています。

私の人生は、大人になったら存外悪く無いよ。

矢御あやせ より』

さて、サボってしまった。原稿の続きをしようか。

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こちらの小説は、『小説家になろう』にて「巻き戻しチートで過去の自分に会いに行った話」として公開したものに微量な手直しを加えたものです。

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