【辛口注意】Q「私ってダメでしょうか」A「ダメです。いい加減認めましょう」
これは私の恥と気づきの話である。
これを読んだ人、怒らせてしまったら申し訳ない。
正直傷ついて泣いている人には読んでほしくない文章だ。
先に謝っておく。ごめんね。
「私ってダメかな?」
この言葉を吐く奴は大抵この返しを求めている。
「ダメじゃないよ」
これは平成百人一首でも人気の札だったが、令和でも引き続きその座は守られている。
きっと、後世の国語の教科書ではこのやりとりに傍線が引かれて「主人公の気持ちを答えなさい」と出題されてしまうに違いない。
察しろ文化の象徴のような会話例だ。
とまあ、私もこれを「上の句」だと思って生きていた。
「私なんてどうせダメでしょ」の下の句は、必ずその否定の言葉が来ると信じてさえいた。
ところがだ。
「え、ダメでしょ。わかってるなら直せば?」
この数ヶ月、直接間接問わずガンガン飛んできた言葉である。
いや、それどう考えてもお手つきだろうに!!!!
私は思った。悔しかったし、涙が出るほど怒り狂ったし顔が真っ赤になった。
こんな事を言う奴らは最低だと思っていたし、オブラートに包めない猿だなぁと心の底から軽蔑をした。
そして、「ダメじゃない、私はダメじゃない」と唇を噛みしめたものだ。
私の自分像は謎のミラクルが起きて他人の目には「そこそこれている人」として映っているとばかり思っていた。
しかし、直接間接ことあるごとに「いや、ダメでしょ」を浴び続け、私は気づいてしまったのだ。
あれ、お手つきしてるの私の方じゃね?
と。
まぁ、一応注意しておくと、確かに私をダメだと思わない人はいる。
でも、その人って多分私のことをこう思っているはずだ。「うわ、どうでもいー!」。
だから耳障りの良い言葉を選ぶわけだ。どうでもいい奴に嫌われても意味ないしね。
じゃあ言ってくれた人は大切に思ってくれてるの?
答えは「どっちでもいい」。この話のミソにはあまり関係ない話だ。
むやみに尊敬したり鵜呑みにしても苦しいし、最悪マウントを取られるだけだ。やめておけ。
そうじゃないんだ。
この話のハイライトは、「私が自分のお手つきに気づいたこと」にある。
「私ってダメだよね?」この言葉の先を期待し続けて、何があったか。
私は社会人として当たり前を知らない。
社会人として必要な実績の積み上げをしていない。
私は32歳だ。死ぬまでに間に合って良かったが、はっきり言って超遅いし恥ずかしい。
その間、していたのは、「私、ダメだよね? ダメじゃないって言ってよ」と点検をざる業者に任せていた事だけだ。
点検=フィードバックはちゃんと言ってくれる他人に。
改善行動は自分でどうにか考えろ。わかんないなら人に聞け。
こんな当たり前の事すらわからなかった。
最初歩もいいところだ。
それを、「私ってダメじゃないよね?」と信じ続けたがためにこんな事になってしまった。
悲劇? そんなわけない。ここまで来たら喜劇もいいところだ。
いっその事笑ってほしい。
とにかく、ダメだっていいんだ。むしろダメを認めて何がダメか分析する事は、ダメじゃないって言葉を待っている人の一億倍偉いと思う。
そこから何もしなければ「ダメじゃない」待ちの人と同等な訳だが。
ダメにはダメなりのやり方があるんだから、できてる奴のやり方にいつまでも固執なんてしてはいけないんだ。
案外、ダメを認めた方が、人生は楽しいよ。
2020/09/19 矢御あやせ
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