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谷崎潤一郎とメリーさんの関係性について記事化した意図

拙記事「ヨコハマメリーと文豪・谷崎潤一郎の点と線」ですが、ほとんど反応らしい反応がありません。
わずかに返ってきたそれは「根拠が薄い」というものです。

ここでなぜ僕がこの話を書いたのか、その意図をご説明します。

拙著『白い孤影』でやりたかったのは

1. メリーさんの物語を「横浜の物語」という縛りから解き放つ
2. メリー伝説の話の筋はそのままにして、意味を変える

の二つでした。

「ヨコハマメリーと文豪・谷崎潤一郎の点と線」で意図したのは、1に関する部分です。

前作『消えた横浜娼婦たち』を出したときのことですが、横浜の人たちから返ってくるのは
「メリーさん、見たことあります」
「映画ヨコハマメリー、観ました」
という反応ばかり。
本の内容はスルーされていました。
書き手としてこんなにつまらないことはありません。

横浜ではメリーさんに関して話を振られるのは、中村、森、五大の三氏だけです。
メリーさんは中村さん、森さん、五大さんの持ちネタだから、他の人に話を聞きに行ってはいけない」という空気があるのです。
ですからこちらの戦略として「横浜エリアは捨てる。その代わり東京など他所の地区は積極的に取っていく」という考え方にせざるを得ません。

東京など全国の読み手に「自分事」の話題として感じてもらうためには、「横浜の物語」という縛りを破壊しなくてはなりません。

『白い孤影』では、努力はしたのですが、上手くいきませんでした。
(作中「クレイジーメリー」など、よその町のメリーが登場するのはそのためですし、野村沙知代さんの過去が登場するのも同様の理由からです)
解説の都筑さんに「読んでいるうちに横浜の物語だということが分かってくる」と書かれてしまったくらいですから、完敗と言って良いでしょう。
しかし谷崎の件が出てくることで、さすがにもう「横浜の物語」ではなくなるのではないでしょうか?

つまり谷崎の件が正しくても、正しくなくても、どちらでも一向に構いません。
メリーさんの物語から「横浜」という枷が外れれば、僕の勝ちです。

そもそも「待つ女」というメリーさんの物語自体が、(元々小さな噂として路上でささやかれていたにしても)杉山義法の書いた「横浜ローザ」によって拡声され、その声の大きさ故に定着していったものにすぎないのではないでしょうか。
その杉山戯曲は「蝶々夫人」や「ミス・サイゴン」の焼き直しです。
リメイクに過ぎません。

ずいぶん昔「一杯のかけそば」という都市伝説のブームがありました。
多くの人の涙を誘いましたが、結局あれは作り話でした。
メリーさんの「待つ女」伝説も同じでしょう。

「待つ女」の物語自体はサンタクロースと同じだと思います。
嘘だと分かっていても、みんなサンタを楽しんでいます。

わざわざ「サンタさんはいないよ」などということはありません。
メリーさんも同じで「彼女が将校を待っていた」という話を否定するのは、本来大人げないと思っています。

とはいえ、本気で信じている方も結構おられるようです。
僕個人としては「嘘だと分かっていても、楽しむ」という方向に持っていきたいと考えています。

そんなこんなで横浜とメリーさんを切り離したいと思っているのにも関わらず、『白い孤影』が一番売れている地区が横浜だというのは、皮肉です。

繰り返しになりますが、横浜の人は
・メリーさん見たことありますよ
・あの映画、観ました
以外の感想を言ってくれません。
そうして自らのメリーさん目撃談を披露し始めるのです。
たぶんメリーさんの悪口を書かない限り、なにを書いても同じ反応でしょう。

繰り返しになりますが、谷崎の件は「嘘」「本当」という議論をするつもりはなく、さすがにここまでやれば、「メリーさんの映画観ましたよ」以外の感想が返ってくるでしょうし、横浜という狭い土地の物語からも卒業させてあげられるだろう、ということです。

既に「ヨコハマメリー」は大阪、台北、香港で現地人によるオリジナル企画・オリジナル台本で舞台化されています。
横浜だけの物語ではありません。

本来は今月(5月)の中旬から香港で再演される「ヨコハマメリー」を観る予定だったのですが、コロナ騒ぎで駄目になりました。
(香港版の脚本家兼元次郎さん役の方がfacebook 内にいて、メッセージのやりとりをさせてもらっています)

谷崎の件自体は
・義経が大陸に渡ってチンギス・ハーンになった
・イエス・キリストが青森までやってきた
と同じレベルの扱いで構いません。

漫画「ゴルゴ13」シリーズのなかに、作者のさいとうたかをが「ルーツもの」とよんでいる一連の話があります。
ゴルゴの正体を探るために、各国の諜報機関がゴルゴと思しき人物の過去を探っていく話です。
毎回毎回「これは間違いない」という風に話が進んでいくのですが、結局最後は状況をひっくり返す証拠や証言が飛び出し、ゴルゴの身元は謎のまま残ります。

僕の書いた「ヨコハマメリーと文豪・谷崎潤一郎の点と線」もゴルゴの「ルーツもの」のようなものかもしれません。
しかしこれを読むことで、読者の印象は大きく変わるでしょう。
ヨコハマメリーの物語は、横浜の路上で完結するような類のものではなくなるはずです。

「人間は事実よりも物語を通して思考する」(ユヴァル・ノア・ハラリ)

かなり長くなりましたが、こちらの意図は以上です。


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