「私の言ったことをきれいに言い換えてまとめただけじゃない!」
一般の方から聞き取った体験談を原稿に落とし込んだときの話だ。ご本人に確認して頂いたところ、こんなお叱りを受けたことがある。
たぶんこの方は、自分の生き様をドラマチックに謳い上げるとか、「プロの物書き」の手で華麗な美辞麗句や讃辞を交えて自分のことを紹介するとかして欲しかったのだろう。
原稿という小宇宙のなかでは、世界はこの方を中心に廻っている。主人公の生きる日々が妙にドラマチックだったとしても、読者にとってなにひとつ困ることはない。
しばしば「ライターは自分の好きなことを表現したり書き連ねたりする仕事ではない。クライント(あるいはインタビュイー、著者など)の意向に沿って書くものだ」と言われる。
冒頭で紹介した方は極端な例だが、「相手の期待していることが想定外のケース」も稀にある。一般の方を相手に取材する場合に、ときとしてそんなことが起きる。
●ライターの業務は「誰かの物語を書く仕事」が多い
ライターに求められる案件の多くは「誰かの物語を書く仕事」だ。
エッセイやコラム、体験記など自分の内側から出てきたものを書き表す仕事もあるだろうけれど、大抵の仕事は「誰かの代わりに書く」という代行サービスだ。有り体に言えば「誰にでも出来る仕事」と言える。
それこそ「ライター業という仕事は、コピー取りやお茶汲みと変わらない」というのが、僕の偽らざる信条だ。
文章くらい、誰にでも書ける。
誰にでも出来るが時間と手間を取られる。そんなことにエネルギーを使うのであれば、もっと別の仕事なり作業なりに充てたい。だからその手間を代行する仕事。それがライター業だと僕は思う。そういう意味で、ライター業はベビーシッターや家事代行サービス、あるいは愛犬のお散歩代行業と共通する部分がある。
世の請負業者はときとして理不尽なクレームを浴びるが、ご多分に漏れずライターも理不尽なクライアントやインタビュイーに当たることがある。
それは代行業者の宿命だろう。
繰り返しになるが、文章そのものは誰にでも書ける。
それこそ近未来の世界では、自動執筆アプリケーションが完成しているはずで、キーワードやキーセンテンスさえ入力すれば、その辺のライターより巧みな文章が自動生成されるようになっているはずだ。おそらくマニュアルを制作するテクニカルライターなどは、将来消滅する仕事だと思う。求人広告なども、インタビューの後工程の部分はなくなるのではないだろうか。
将来機械に奪われるであろう仕事。
自動化や仕組み化が達成出来てしまうであろう業務。
消えてなくなることが運命づけられている仕事だからこそ、機械に出来ないことをする必要がある。つまりそれがライターとしてのあなたの独自性であり、いまあなたが「ライターとして」書くことの意義ということになる。
●文章なんて誰にでも書ける。なのに、差が出る
さて「文章くらい、誰にでも書ける」と書いた。
とは言え、お茶汲みにしたって上手に淹れられる人もいれば、そうでない人もいる。免許さえ持っていれば誰にでも出来るはずの車の運転だって、上手な人とそこそこの人がいる。
文章も同じで、上手い下手という差は確かに存在すると思う。
その差は一体どこから出てくるのか?
それが「ライターとして書く」というお題の核心部分だ。
以下、自分が心掛けていることを箇条書きにしてみた。
ざっと以上だ。
(忘れていることもあるかもしれない)
必ずしも出来ていることばかりではない。
だがだいたいいつも、上に書いたようなことを意識している。
●ライターは果たしてクリエイターなのか?
最後に「ライターは果たしてクリエイターなのか?」という問題にも触れておきたい。
序盤で書いたように、「文章を書くことは誰に出来る」し、ライター業は代行業だ。
したがってクリエイターたり得ない。
求められているのは職人的な能力だと思う。
・ブックライター……代行業(ある種の翻訳作業)
・インタビューライター……代行業
・レポート記事 体験記事……代行業(代理報告)
・紹介記事……宣伝代行業
上記のような記事で求められる職能は、純然たる技術だと思う。
・専門ライター……解説記事
上記の場合は、専門知識が求められるので職人的とは言えない。
知識がないと出来ない仕事なので「誰にでも書ける」世界でもない。
しかしクリエイターかと言われると、ちょっとちがうと思う。
・エッセイスト……作家
・コラムニスト……作家
・ノンフィクションライター(ルポライター)……作家
ライターのなかでも俗に「作家」と言われる層だけが、クリエイターなのだと思う。
ただし「作家」と「ライター」の境目は必ずしも明確とは言い切れない。
ときとして自分語りを混ぜ込むなど、エッセイ的な要素を内包した記事を(とくに Webで)見かけることもあるからだ。
そういう「作家」的なアプローチで文章を綴るとき、僕は以下のようなことを意識する。
・「永遠」を感じさせるフレーズや段落を挿入する
→この「永遠」は感覚的なものなので説明しづらい。
宿命的なもの、人間の業を感じさせるもの、場合によっては数世代に跨がってつづくもの、ある種の神話的な要素、一個人を超えたスケールを感じさせるもの、時代や運命を象徴するもの etc。
→余韻を感じさせることも多いが、余韻とは必ずしも同じではない。
・物語性
→読み物として成立させる。
※ ※ ※
頭の中を整理しながら、思い付くままに書いた。
改めて明言するが、「ライターとして書く」というのは、つまり「職人として書く」ということだ。
喩えていうならば、土産物屋の店先に並ぶ木彫りの人形をつくることに似ていると思う。
民芸品や伝統工芸品の作り手は確かな技術を持っている。
しかし彼らは職人であって、芸術家やクリエイターではない。
彼らは一歩踏み出せば、アーチストにだってなれる。
しかし敢えて踏み出さずに踏みとどまるのが、「ライターとして書く」ということなのだと思う。
※この原稿は「ライター研究所」の「お題記事募集」への投稿です。