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『ヨコハマメリー』は仏教説話の焼き直しである

いわゆるメリーさんの伝説と言われているもの。それは「老いた娼婦になってまで恋した米軍将校を待ちつづけた女」というものだ。

映画『ヨコハマメリー』公開当時は、彼女の生き様の部分に共感が寄せられていたと記憶している。しかし2018年からのリバイバル上映では一転。元次郎さんら周囲の人々との心の交流が観客の琴線に触れているようだ。これは「コミュニティー」という言葉がさかんにつかわれるようになったこの10年の世相の変化を反映しているのだろう。つまり人々のメリーさんに対する見方が変化したのだ。

もともと彼女は「怖い」「不気味」「謎の人」という扱いで、遠巻きに見られるだけだった。「頭がおかしいのでは」という人も多く、軽蔑と好奇心の入り交じった視線で見られていた。映画の中に出てくる人々は例外中の例外だった(当時彼女を見かけたハマっ子に確認すれば、簡単に分かることである)。

それが映画の公開と共に一変した。負の遺産として憎まれていた原爆ドームが、平和と反戦の象徴として輝かしい文化遺産になったのと似た構図である。

時代の変化で人の評価はいくらでも変わる。
「魔女」として火あぶりにされたものの、いまや救国の英雄として語られる「ジャンヌ・ダルク」のような例は珍しくない。

ここでは江戸時代の有名な「八百屋お七」物語の変化を例に取り、メリーさんに対する印象の変化を考える上での補助線としたい。

近世演劇における八百屋お七像の変化

八百屋お七は江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火あぶりにされた少女である。生年は1667年。享年は1683年というから、16歳で亡くなった計算になる。恋の殉教者として、歌舞伎、浄瑠璃、講談などさまざまなジャンルの演目になってきた。

ここからさきはヴァレリー・L ・ ダラム(Valerie L. DURHAM)の論文「近世演劇における八百屋お七像」(https://core.ac.uk/download/pdf/235264088.pdf)を引用する形で筆を進めていきたい。

ダラムは「本来の八百屋お七は、反社会的な存在だったともいえるが、近世演劇において、彼女は逆に、封建制度下における、一つの女性の理想像ともなっていた、と私は思う」と述べる。どういうことか。

彼女と恋人の出会いは火事の避難場所となった寺だった。「火事になれば、また彼に会えるのではないか?」という短絡的な動機で放火したバカ娘なのだが、しかし彼女の物語では「放火をするバージョン」「しないバージョン」のふたつのストーリーが存在する

小説や落語などの「言葉で物語る芸能」では、彼女は放火をする。しかし歌舞伎や文楽(人形浄瑠璃)、日本舞踊、浮世絵などの「見せる芸能・芸術」では振袖姿で火の見櫓に登り火事の知らせの半鐘を打つ、というビジュアル優先の演出がなされる。後者では彼女は放火をしない。したがって処刑されない。史実から外れているのだ。なぜこうなったのか。

「歌舞伎では、お七が常に処刑を赦免されるのである。このめでたい結末は、歌舞伎の様式によるものであるが、結果として、本来悲劇的なヒロイン、恋の殉数者のお七の姿が消されていき、お七を感動的な人物となるその必然的な死を前にしたあわれささえ消滅していくのである」とダラムは言う。

死刑囚にとって処刑は一世一代の見せ場である。その見世場がなくなることで、死刑囚の存在感は縮んでしまう。

ジャンヌ・ダルクも処刑されたからこそ語りつがれている。裁判で無罪を言い渡されていたら、その功績にも関わらず忘れ去られていただろう。

「お七像の縮小化の最も重要な原因は、お七の放火が18世紀の後半以来舞台の上で演じられなくなり、「櫓のお七」の趣向に取り替えられることにあると私は思う。この趣向が生まれた理由としては、まず、迷信深い役者が何よりも「火事」を忌んだ、ということがあげられる。が、それよりも、演出法として、放火よりも、櫓の型の方が劇的な効果があると思われる」(ダラム)

陰でこそこそ行う放火では舞台上で絵になりづらい。歌舞伎はリアリズム演劇ではなく、1枚の絵のように見栄え優先で場面を紡いでいく。火の見櫓で半鐘を鳴らす方が絵になると考えられたのだろう。そして実際、処刑されるお七よりも櫓に昇るお七の方が興行的に成功したのだった。

放火しないお七は死なない。恋に狂って火を付ける過程で行われた彼女の心理描写も行われなくなる。その結果、お七は内面のない平坦な女になっていく。

「お七の性格が平面化していくにつれ、お七が段々『もの』と化していったことを付言しておく。近世演劇では常套のことであるが、 200年の間にできたお七物語を題材とする戯曲では、お七は早くから象徴的な存在となり、お七の「世界」の要となっているものの、最終的には、性格の個性がなくなっていく。彼女を近世演劇に登場してくる他の「娘」から区別するものは、封じ文の紋や浅黄の麻の葉鹿子の着物ぐらいである。いわば、これらは彼女の「本体」となっているのである」(ダラム)

これは宗教画や仏像などでよくみられる現象でもある。琵琶を持っている女性ならば弁財天、宝塔や槍を持ち厳めしい顔をしていれば毘沙門天、という具合に姿形がアイコン化していくのだ。

これはちょうど白い服を着て白塗りをした老婆ならばメリーさん、というのと似ている。彼女の物語、特に『ヨコハマメリー』において、彼女の内面はほとんど考慮されていないと思う。その代わりに元次郎さんなど周囲の人たちとの交流に比重が割かれていく。同様にお七においても、お七の比重は減っていき、代わりに恋人の家のお家騒動や敵討ちなど周囲の人間にスポットが当たっていく。

「演劇によって、お七事件が近世の人々の間に普及していき、お七物語が普及するにつれて、お七のイメージも近世人が抱いていた、『女性』に対する要求によって、変わっていった。歴史的な八百屋お七は、悪意でなくても、我がままに近いもののために犯罪に走ったとも思われるが、近世演劇にみられるお七は、悪性のない『娘』の典型、あるいは恋のひたむきさの典型となっているのである」(ダラム)

こうして前述の通り、「本来の八百屋お七は、反社会的な存在だったともいえるが、近世演劇において、彼女は逆に、封建制度下における、一つの女性の理想像ともなっていた、と私は思う」(ダラム)という具合に彼女のイメージは180度変化していく。

お七の変化と、本来は社会から外れた存在である「異装の娼婦」が「凛とした生き様を見せた人格者」「真実の恋に身を捧げた健気な女」へと変貌していった映画『ヨコハマメリー』との間に類似性を感じるのは、僕だけではないと思う。

『ヨコハマメリー』は彼女が故郷(実際は故郷ではなく30キロほど離れた津山の駅の近くである)の老人ホームで隠遁している場面で終わる。それはあたかも苦難の人生を生き抜いた老婆が、報われて天国に迎え入れられたかのようである。恋のためとは言え、不浄な稼業に生きる女が周囲の人達に支えられ徳を積んで浄土に旅立った……。まるで仏教説話の「悪人正機」(善人よりもむしろ罪深い悪人こそ阿弥陀様は救いたいと考えているという思想)のようではないか?

この構造はミュージカルの『キャッツ』にも似ている。都会のごみ捨て場を舞台に「天上界に昇るただ一匹の猫」が選ばれる物語だが、皆から嫌悪されていた老娼婦猫グリザベラが選ばれ天界へと旅だって幕を閉じる。


まとめ

人々が彼女の物語に魅了されるのは、一見目新しく見える題材がじつは日本古来の構造を保っているからだろう。

1)『蝶々夫人』や『ミス・サイゴン』のような「待つ女」 の物語(※註)

2)まっとうな人生から足を踏み外した人間が人の善意や真心に触れて立ち直り、天国の門をくぐる(悪人正機・典型的な仏教説話)

このふたつの要素を組み合わせたのが映画『ヨコハマメリー』だ。文字通り「温故知新」的な物語構造だということが分かる。

※註)人間の女の話ではないが「待ち続ける物語」という意味で「忠犬ハチ公」と関連づけて考えることも可能かもしれない。

監督の中村高寛氏によると、当初の計画ではメリーさんは登場しない予定だったそうだ。彼女の居場所が分かったのは映画の撮影中で、偶然だったという。つまり上記の二重構造は偶然の産物だった。ラストシーンで彼女が登場しなければ2)にはならず、観客の感動を呼ぶことも出来なかっただろう。この偶然を呼び寄せたのは強運にほかならない。つまり監督は「持っている」人だったのである。

追記:

Twitter上でたひろ@読書垢(@lG11Zn5NQfAvTnA)さんとこの記事について話し合ったので転載します。

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