見出し画像

注意一秒、ケガ一生~カルミナ・ブラーナ

それは、ひと月ほど前の夜の出来事でした。
テレビを見ている間にうとうとしてきた私。そろそろ休み時と、夫と猫に「おやすみ」と声をかけ、一日の最後の日課「トイレ」へ。
パジャマのズボンとパンツを下ろし、座ります。

「! ! ? ? ! !」

突然、私のお尻が見えない力に吸い込まれたのです。
驚きと恐怖に襲われた同時に、ある曲が脳内に響き渡ります。

それは、20世紀の作曲家カール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」の冒頭「おお、運命の女神よ」。映画やドラマのBGMや、サッカー選手やプロレスラーの入場曲として、曲名は知らずとも聴けば、皆知っているあの曲。窮地に陥った私にピッタリすぎる曲です。

脳内に壮大なオーケストラと大合唱が響く中、私は力の限り、得体のしれない力に抵抗します。便器の底からの見えない力に吸い込まれないよう、腹筋と腰に力をこめ、両足を踏ん張り、どうにか立ち上がることができたのでした。

窮地を脱した私は、お尻を吸い込もうとしたものの正体を確かめるため、立ち上がると同時に、後ろを振り向くと……。
そこには、便ふたと便座が垂直に上がり、座面は便器のみとなったトイレの姿が。

便器を見つめつつ、事の次第を省みます。いつもの如く、便座にどーんとお尻を預けようとした私。しかし、お尻を受け止めてくれる便座はなく、お尻はそのまま便器の底へ落ちる寸前となったのでした。
私は椎間板ヘルニア持ち。お尻や腰を強打すれば、大ケガとなる可能性も。難を逃れた安堵と恐怖で、血の気が引く思いです。

便座も便ふたも上げたままにしたのは一体誰?
呆然と立ちすくす私の脳裏に浮かんだのは、私以外のもう一人の住人。
立って用を足す夫以外、犯人は考えられません。
便座を下ろし用を足しながら、夫への怒りは増すばかり。
再度「おお、運命の女神よ」が、前にも増した音量で、脳内に響き渡ります。

「便座が上がったままだったよ! お尻が便器に落ちるところだったよ! 大ケガするところだったよ!」と、訴える私に、「あー?便座が上がったまま? ごめん。でも、お前、電気点けないからー」と、テレビを見ながら、事も無さげに返事をする夫。

そうです。私は夜、トイレの照明を点けていないのです。トイレ内は、窓から隣家の外部照明の灯りがもれ、ほのかに薄暗い。照明のスイッチをON・OFFするのが面倒な私は「省エネ」を免罪符にする無精者。
我が家ではトイレが済んだ後、必ず便ふたまで閉じるのが暗黙の了解ですが、うっかり者の私が、時々便ふたを閉じ忘れます。
災難に遭う寸前も、薄暗い中「あら、また便ふた閉じ忘れたよ」と勝手に思い、まさか便座まで上がっているとは思わず、いつも通り座った私。

トイレの電気を点けるという当然の行為と、便座の有無の目視確認を怠った私は、自らの行いで災難を招いていたのでした。

私の脳裏で鳴っていた音楽は、フェイドアウトして行きます……。

「あ……気をつけようね。お互いに」と、私は難を逃れた腰をさすりながら寝室へ退散したのでした。

この「お尻が便器に吸い込まれる事件」に大いに反省させられた私。50も半ば過ぎると、ちょっとした不注意が命取りになりかねません。そして頭に浮かんだ言葉は「注意一秒・ケガ一生」。

交通標語や現場での安全標語として、誰もが知っているこの言葉。「安全確認を怠ることなく、不幸を未然に防ぎましょう」と、何ともやさしさと思いやりにあふれた言葉が、一層の猛省を促すのでした。

この言葉を、人生の「座右の銘」とし、「カルミナ・ブラーナ」を耳にする度、この事件を思い出し、今後このようなことがないよう反省の心を忘れません。
そして面倒くさがらず、トイレの電気も必ず点けるようにします。とほほ。

♬  ♬  ♬

さて、トイレで窮地に追い込まれたときに私の脳裏に浮かんだ音楽「カルミナ・ブラーナ」。窮地に陥ったとき、青天の霹靂に陥ったとき……あなたの人生の中でも、度々登場するであろう、この作品について調べてみました。

「カルミナ・ブラーナ」とは「ボイエルンの歌」の意。19世紀初めにドイツのボイエルン修道院から発見された詩歌集のことです。
詩歌集自体は11~13世紀に作られたもので、詩歌の作者は放浪修道僧や遍歴学生(旅をしながら勉学する)たちと言われています。

作曲家カール・オルフが、詩歌集の中から24の詩を選び、1936年に完成させた作品が、「世俗カンタータ カルミナ・ブラーナ」。
「楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲」という副題も何やら怪しげ、お堅いクラッシックの中では、破天荒な作品のようです。

約1時間の作品は「初春」「酒場」「愛の誘い」の3部構成で、24の詩の内容は「神・愛・恋・女・性・酒・ギャンブル」等々。
清貧・貞潔・服従の三つの修道誓願を立てた身でありながら、本能と世間の誘惑に揺れる若き修道僧の心情を、オーケストラと大合唱隊が音楽で表現、バレエがダンスで体現します。
禁欲の反動か、その妄想と乱心と浮かれぶりは「若者よ、大丈夫か」と、見ている側が心配&呆れるほど。

当然の如く、神と運命の女神は不品行な修行僧を許しません。悦楽の世界から、奈落の底へ落とします。合唱隊は「おお、運命の女神よ」を高らかに歌い、運命に抗うことのできない人間の弱さを、修行僧たちと聴衆に知らしめます。

「車輪の如く回る運命よ、お前は悪意に満ち、幸福を無にする。健康も徳も奪い失望させる。強者をも打ち倒す。さあ皆、私と共に運命を嘆こう!」

ラテン語の歌詞の意味はわからなくとも、音楽とダンスで理解できる「カルミナ・ブラーナ」は、1937年の初演から、聴衆の心をガッチリ掴み大成功。
中世の若き修行僧たちの人生への悶えは、20世紀の人々にとっても「あるある」だったのでしょう。

また、当時は様々な要因で、人々が抑圧された時代でもありました。
目の前で繰り広げられる、原始的なリズムの反復と大音量、野性的で官能的なダンス。それは理性を剥がし、本能を呼び覚まし「生」を感じる束の間の時間だったかもしれません。

いつの世も、人は運命に翻弄され、一瞬で全てを失うことも。
自分自身の不注意で、運命の女神に翻弄されることのないよう、みなさんも「注意一秒・ケガ一生」と「カルミナ・ブラーナ」が脳内で響くことのないよう、ご自愛くださいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?