5/8トークイベント「文芸誌と文芸批評のゆくえ――新人小説月評における《削除》をきっかけに」

在野研究者の荒木優太さんが『文学界』の「新人小説月評」を任期途中で降板したことが一部で話題になり、僕もnoteで記事にしました。

このことについて、さらに議論を深めるため、5月8日、ロフトプラスワンでトークイベントをおこなうことにしました。題して、「文芸誌と文芸批評のゆくえ――新人小説月評における「削除」をきっかけに」DEATH! チケットは以下リンクからお買い求めください。アーカイヴも残る予定なので、当日の観覧が厳しい方もぜひ。 

新人小説月評は僕も数年前に担当しましたが、そのときから不思議なページだという感触は少しあり、実際に難しかった印象もあります。そんなおり、今回の荒木さんの件が起きて、僕としては、自分のなかでなんとなく抱いていたけどやり過ごしていたものを荒木さんが問題提起したような気持ちもあります。ここには、文芸批評のありかたや文芸誌という場所について。あるいは、もっと生々しく、フリーランスと組織という労働問題に関わるものもあるのかもしれません。だから、今回の件がこのままなんとなく話題が流れていくのは歯がゆく、このたび、イベント化した次第です。その意味では、公共的な意味合いも強いと思っています。

イベントでは以下のようなことを話題にしたいと思います。

(1)そもそも「新人小説月評」ってどんなページ?(評論家にとっての登竜門らしい?)
(2)今回の件はどのような経緯で起こった? 何を問題視しているんですか?
(3)実際のところ、いまどう思っていますか?
(4)そもそも文芸誌の役割はなんだと思いますか?
(5)文芸批評とはどういうもの(であるべき)だと思いますか?

(1)~(3)は、今回の「削除」の件についてです。実際、どのような経緯でなにが起こっていたのか、ピンと来ない人も多いかと思います。そのような人に向けて、文芸誌とはどのようなものか、新人小説月評とはどのようなものか、といった説明も含めて、あらためて今回のことについて話したいと思います。(4)(5)は、もっと広く文芸誌と文芸批評の問題についてです。文芸批評界隈では定期的に話題になることですが、今回の件からあらためて考えていきたいと思います。

ネットでの広がりかたを見ていると、今回の件に関しては、文壇スキャンダルとまでは言わないまでも、雑誌スキャンダル的な触れられかたも多かったように思います。それこそ、少しまえにロフトプラスワンのイベントを観ていたら、吉田豪さん・久田将義さん・能町みね子さんのイベントで雑誌スキャンダル的な感じで少し言及されていて、これはもう少し内部論理というか文芸誌の力学を外側に伝えたほうがいいかな、と思いました。ということで、文芸業界に関心がある方からネットで今回のことを聞いた方まで、よろしければご視聴ください! 別に特定の媒体を糾弾することが目的ではないので、出版関係者や編集者の方もぜひ。あとは、荒木さんがなにかモヤモヤしたものを抱えているものがあれば、それは然るべきかたちでうかがいたいですね。それがいちばんの目的と言えば目的かも。ぜひ!


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