見出し画像

文学フリマで『矢野利裕のLOST TAPES』をリリースします!

 ドストエフスキーと私の誕生日である、2023年11月11日(土)の文学フリマで個人誌『矢野利裕のLOST TAPES』(264頁/1000円)を販売します。

 本書は、ブログを中心にここ15年くらい書き散らしていたものをまとめたものです。以前からこのような雑多な文章をまとめた単行本を出版したいと思っていたのですが、それ以外にも、コロナ禍でリアルタイムで考えていたことは紙で読めるかたちにしておくことがいいのではないかと考え、とりあえず自費で出すことにしました。掲載しきれなかった文章がまだ多くあるので、第2弾も考えています。ゆくゆくは、佐々木敦さんの『ソフトアンドハード』とか九龍ジョーさんの『メモリースティック』みたいな、ジャンルを貫通したさまざまな文章が載った本として出版したいと思っています。興味のある出版社のかたいたら、ご一報くださいませ。以下、まえがきです。

 文章を書く仕事を始めてから10年くらいになります。音楽・文芸を中心に評論めいたことを書くことが多いのですが、掲載媒体は文芸誌だったりカルチャー誌だったり週刊誌だったり、わりと多種多様です。そういったなかで意識していることは、どのような媒体でどのようなことを書くにしても、日々の生活の感触を見失わないようにする、ということです。10年も経つと出版業界やメディア業界の知り合いも増えてきますが、そのような知り合いが増えて感じたことはむしろ、日常的な生活世界のほうがよほどゆたかで面白いのではないか、ということでした。もっとも、ここで言う「日常」とか「生活」とかいうもの自体、マジョリティ側であったり権力側であったりすることはあるのでしょう。そのような批判的な視線は大事だと思っています。しかし、そのように考えてもなお、「日常」とか「生活」といったものには目を見張るべきものがあると感じています。一見すると急進的・批判的に見える人のほうが、むしろ周囲に同調しながら予定調和をくり返しているような気すらします。それに比べたら、目のまえのしょうもないことに一喜一憂したり右往左往したりしながら日々の生活を過ごしている人のほうがおかしくて愛おしいです。致命的な痛みを負ってしまったときでさえも、そのようなおかしさや愛おしさを抱えていられることが人間の素敵なところだと思います。
 本書は、ここ10年ほどブログを中心にそのへんに書き散らした文章をまとめたもので、いずれも単行本未収録の文章です。未発表音源的なニュアンスでLOST TAPESとしました。話題はいろいろですが、ここまで書いてきたような姿勢は一貫していると思いました。このような雑多な文章をまとめて単行本化したいと以前から思っており、さしあたり自費出版の書籍にしました。収録しきれなかったものも多かったので、第2弾も考えています。もし書籍化を考えていただける人がいたら、よろしくお願いいたします。

この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?