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イギリス滞在日記

 3月下旬、仕事の関係でイギリスに行く機会がありました。滞在していたのは、ウィリアム・モリスの出身地ということでも知られるイギリス東部のエセックスにあるチェルムスフォードという街。朝から夕方までは現地の学校を視察し、夜になったら街を歩く、という生活を続けていました。以下、そのダイアリーですが、いろいろと端折っているところがあります。

3/20(wed.)

 朝8時にチェルムスフォード駅。電車で隣の駅に着いてから、20分ほど歩きスクールに到着。教室の場所を間違えるというハプニングがありつつも、校長先生と挨拶することができました。日々の英語の勉強の成果もあり、日常的な単語やちょっとした文章作成はなんなくおこなっているように思います。ただ、それをとっさに口にしたり、あるいは正確に発音したり、というところで苦戦していた人がいました。外国の経験がほとんどない私だから余計に思うのかもしれませんが、同じ内容の英会話をするにしても、なんとなく教科書を読んでいるのと実際にイギリスで現地の方に語りかけるのでは、なんというか緊張感というか、ひとつひとつの言葉の重みが違う感じがします。なるほど、どんどん英語が上達していた友人たちはこういう意識で日々授業をしていたのだな、とひとりで納得していました。
 現地の先生は「Don't be shy !」と言っていました。昼休みには、持参したお菓子を「どう?」と渡して、そこから話すという手法が発揮されて、果敢にコミュニケーションを取っていました。ある人いわく「イギリスではハッピーターンが不人気だ」ということで、謎の市場調査も達成しつつ、午後の授業へ。午後は大英博物館のことを学んだり英語でクイズをしたりと、充実した時間を過ごしていました。遠くから手を振ってくれる生徒がいて、さまざまな交流のかたちがありました。帰りの電車でその日の出来事を報告し合いました。帰りの電車では降車のさいにしか切符を使用せず、こういう細かい習慣の違いも興味深いところです。夜は、同僚と美味しい夕飯を求めて、駅周辺を散歩して、ホテルに着いたらすぐに寝てしまいました。あ、滞在していたホテルの近くにレコード屋があり、プリファブ・スプラウトのLPが安かったので買いました。その他、7インチもいろいろと。

3/21(Thu.)

 今日も朝8時にチェルムスフォード駅。ある人は待ち時間にニュースペーパーを手に取り、すっかりスティング(from THE POLICE)のごとくイングリッシュマンみたいに振る舞っていました。大谷選手の通訳の話題はあまり話題になっていません。昨日一度行っただけでだいぶ余裕が感じられました。すいすいと改札を通り、駅に到着。思い思いに話をしながら学校に向かいました。学校に着くと、ユニオンジャック、トリコロールに並んで日の丸の旗が! 現地のコーディネーターが言うには、「日本からの留学生が来ているから日本の旗があるよ」と。
 昨日とは別の部屋に荷物を置いて、日本語クラスの生徒たちと一緒に過ごしました。ポップカルチャーの影響はすごく強くて、「どんなミュージシャンが好きですか?」「YOASOBI」「what?」(「YOASOBI」と紙に書く)「Oh, I know!」みたいな会話があったり、「私は小学校のとき、セーラー服だったんです」「セーラー服と言えば、セーラームーンだよね」「セーラームーン、知っているんだ!」みたいな会話がありました。共通の話題としてアニメとか音楽が重要な役割を果たしているな、と感じました。そういえば、「鳥山明が亡くなったらしいね」と言っていたイギリスの方もいました。たしかに、ミーガン・ザ・スタリオンがセーラームーンの衣装でライヴをやったり、あるいはサンダーキャットがドラゴンボールファンを公言したり、海外での日本のアニメ人気はすごいものがあります。セーラームーンは、女性が力を合わせて戦っているということで、フェミニズム的な観点からも評価されていると聞きますね。
 午後は、演劇、詩(音楽から変更)などアート系の授業を受けました。演劇コースでは、この日、ホラー/ゴシックの演技がテーマでした。30人ほどの生徒が5つくらいのグループになって、「Wake when some vile thing is near.」というお題で簡単な劇を作ってパフォーマンスをする、という授業です。また、詩(poem)のクラスは、ウイリアム・ワーズワースの「水仙」の講義だったようです。イギリスで、自然派かつロマン派の詩人であるワーズワースについて学ぶ機会があるとは、とても良いですね。とはいえ、このクラスは、なかなか難易度の高い講義でした。ということで、今日も朝から16時まで授業をして、だいたい17時前くらいに終わりました。ちなみに、帰りにまたレコード屋に寄りました。1ポンド箱を漁っていると、なかなか良い感じの品ぞろえ。なかでも、トレイシー・ウルマンの人気曲「Break Away」の7インチ、こういうの日本ではわりと高いので嬉しいです。もちろん、大好きな曲だしLPでしか持っていないので即購入しました。

3/22(Fri.)

 この日は、朝9時に待ち合わせたのち、バスに乗ってロンドン市街へ行きました。2時間近く揺られながら到着したのは、かの有名な大英博物館です。まずは、ロゼッタストーンを筆頭にメインストリームを見学。古代エジプトや古代ギリシャの遺跡の一部や中世ヨーロッパの作品などがあり、とても見ごたえがありました。個人的には、パルテノン神殿から運ばれた写実主義的なギリシャ彫刻に魅入ってしまいました。これらの彫刻は、手のさきや首から上が欠けているものが珍しくなく、ある人と「なんで顔の部分がこんな欠けちゃうのかねえ」と雑談をしていたら、その人、「あれは顔出しパネルみたいなものなんですよ」と、センスの良いジョークで返してくれました。面白い!
 さて、これらの彫刻について、さきほど「運ばれた」と表現しましたが、ギリシャ側からしたら帝国主義時代にイギリスに「剥奪された」という側面があり、つい最近もイギリス‐ギリシャ間でこれらの作品の返還をめぐって外交問題に発展していました。このように、大英博物館は各地の文化を一か所に集めるという点で植民地支配の名残という見方もでき、各地の文化物に感動するとともにイギリスによる植民地支配という歴史性について考えるのも大事なことでしょう。思い思いの自由時間を経て、おみやげも買って、昼飯も食べて、大英博物館をあとにしました。そうそう、入場無料だからか、現地の中高生のたまり場のようにも機能しているところもあって、博物館のロビー(?)の床に腰かけてティーンたちがたむろっている姿も多く見かけました。行儀が良いとは言えませんが、博物館でたむろっているというのはちょっと素敵だなと思いました。
 大英博物館から15分ほど歩き、三菱コーポレーションのロンドン支局へ。とてもきれいなビルの上層階に招かれ、とてもきれいな会議室で、広報部の方から三菱の歴史および「sustainable 持続可能性」についてプレゼンテーションを受けました。21世紀の企業倫理にかかわるとても興味深い内容でした。最初こそ緊張して質問を控えていた人も、ひとりの質問者を皮切りに時間がオーヴァーするほどの多くのQ&Aが展開され、三菱コーポレーションの方も「こんなにたくさんの質問が出るなんて!」と驚いていました。とりわけ「環境問題などサステナブルであること目指すためには世界各国と連携する必要があると思いますが、そのあたりの取り組みはどうですか」とか「例えば化石燃料の削減などサステナブルを目指すことが誰かの労働を奪うことになることも考えられる。サステナブルという考えには世界の貧困をなくすことも含まれるが、どのようにお考えですか」といった、「sustainable」という概念をめぐる本質的な質問もあり(前者の質問は、国連主導のsustainableが冷戦崩壊後のグローバル化を背景にしていることを突いた質問ですね。後者の質問は、sustainableという概念の広さに起因する先進国と発展途上国との対立という巷間指摘されている問題に触れうる質問ですね)、これには「Great question!」とサム・アップが出ました。白熱した議論のあとは、オフィス内を一周。実際にロンドンで働く日本の方々の姿を見て、「自分も将来こういうふうに働きたいな」と、おおいに刺激を受けている人が多かったようです。16時にロンドンを出発し18時頃帰宅となりました。

3/23(Sat.)

 今日はケンブリッジ大学に行く日です。ここで告白しなくてはいけないのは、ケンブリッジがどういう場所か全然知らなかったことで。いや、せっかく初めてイギリスに行くということで、ローリング・ストーンズとかザ・フーとか、はたまた、ゴールディーとかシャバカ・ハッチングスなどロンドン近郊の音楽は聴いていたり、あとはシェイクスピアを読み直したり、チャーチル首相の伝記映画を観たりとかしていたのですが、肝心の自分が実際に行く場所についての下調べをあきらかに怠っていたのでした。なにが言いたいかというと、バスのなかで教わったように、ケンブリッジ大学というのはいわゆるキャンパスのようなものがあるわけではなく、そのエリア一帯がケンブリッジ大学なのだ、ということ。道路があって車が通って飲食店があってマーケットがあって……、その都市空間のなかにケンブリッジ大学の各カレッジや講義棟、図書館が散在しているのです(←この説明がどれほど正確かは心許ないところですが)。だから僕は、大学見学に行くもんだと思っていたのですが、必ずしもそういうことではなくて、半分観光客のように振る舞える日でもあったというわけです。そして、この、観光客として振る舞いながら学問の歴史を肌で感じるという経験が素晴らしいものでした。
 バスはホットドッグ屋のまえに到着。少し休憩して、90分ほどのバスの疲れをコーヒーや紅茶、人によってはホットドッグやハンバーガーで癒しました。その後、現役ケンブリッジ大学生にケンブリッジ大学の各カレッジを案内してもらいました。「ここはキング・カレッジで、ここはクイーン・カレッジで……」とレンガ作りの建物を抜けながら、ケンブリッジエリアの説明を聞くわけですが、そもそもカレッジとはなにか、という話ですよね。ということで、吉見俊哉『大学とはなにか』(岩波新書)を読んだときの記憶を引っ張り出すと、たしか次のような感じだった覚えがあります(細部など間違っていたらごめんなさい)。カレッジcollegeというのはさまざまな意味を含みますが、ここで言うカレッジとは、基本的には総合的な大学universityを構成する学部みたいなものだと思います。ようするに、学部棟が街中に点在していて、それを現役大学生に案内してもらった感じです。ただ、カレッジというのは単なる大学の構成要素というよりは自治組織的な意味合いがあって、本質的にはこの学問の自治性が重要です。というのも、これも吉見さんの受け売りですが、ケンブリッジ大学はオックスフォード大学などと同様、エリート官僚の要請を目的としたフンボルト型の大学と対立するかたちで方針を掲げています。フンボルト型というのはつまり、国家の要請に従って一方的に上から知識を授かるようなありかたです。ケンブリッジ大学はそうではなくて、政治や権力に縛られない自律した自由 liberal な学問空間を目指しました。これはジョルジョ・アガンベンというイタリアの哲学者が言っていましたが、university というのはもともと学生と教授による協同組合なのだ、と。政治権力に邪魔されず学問をする組織として、とりわけ最初は神学を学ぶ集団として、キリスト教圏を移動していたと言います。神学校から始まったケンブリッジ大学は、その意味で大学=universityの保守本流ですね。カレッジ内やチャペルを案内してくれたガイドさんが、さらっと「あの建物にはエラスムスという人が住んでいたことがあるんですよ」とおっしゃっていて、びっくり! もはや歴史的な偉人のような風合いもある中世きっての神学者が実際にいた場所に自分たちもいる、というのがなんだか不思議でしたね。
 なんだかダラダラと堅苦しい文章を書いてしまいましたが、学問の歴史が街に溶け込んでいる感じがとても素晴らしいと思った、ということを言いたかったのでした。その後、ちょっとした自由時間としてケンブリッジ・マーケットを自由散策。昼食を取りながら、軽く買い物を楽しみました。そして、ケム川のパンティング。ケンブリッジ大学のyoung manがボートを漕いでくれて、40分間の川下りを楽しみました。直前まで雨も降っていたのにこの40分間はとても穏やかな晴天で、この心地良さは、個人的にはちょっとここ最近では思い当たらないほどのハッピーな時間でした。その後、バスの出発までふたたび軽くショッピング。有名な音楽ジャーナリスト、サイモン・レイノルズの未訳本『ブリング・ザ・ノイズ』『レトロマニア』、そして、ブリストルが生んだD’n’Bの雄、ゴールディの自伝を買いました。今日も今日ですごく充実感のある1日でした。

3/24(Sun.)

 今日は日曜日のため、電車に乗って、ロンドンへ行きました。そもそも、なぜ僕がイギリスに来たかと言えば、それは、職場でイギリス行きを募集しているところに、僕が「イギリスに行ってみたい」と立候補したからです。というのも、そのころ授業で読んでいた評論にシェイクスピアの『ハムレット』の話題が登場したこともあり、ちょうど『ハムレット』を読み直していたところでした。授業では、『ハムレット』の簡単なあらすじだけを紹介し、そこでは、歌いながら溺死をする悲劇のヒロイン、オフィーリアのことも話し、死にゆくオフィーリアを描いた有名な絵画のことも紹介しました。オフィーリアの絵を描いたのはイギリスのジョン・エヴァレット・ミレイという画家です。ロセッティらとともにラファエル前派を結成した彼は、それまで聖書など伝統的な題材を扱うことを主とした美術界において、自国のカルチャーであるシェイクスピアを描くなどの挑戦をしたことでも知られます。「オフィーリア」はその代表作です。ということで、なんとなく自分のなかでイギリス気分が高まっているところに(授業で島崎藤村の詩を読んでいた当時、ちょうどイギリス詩をあわせて勉強し直していたのも大きかったです)、イギリスに行く人を探しているという話を聞きつけ、立候補してみたのでした。そして、その「オフィーリア」を観ることができる美術館こそ、ロンドンのテート・ブリテンという美術館なのでした。ようするに「オフィーリア」を鑑賞するため、ロンドンに来たと言っても過言ではないのです。
 チェルムスフォードからロンドンへは約1時間ほどです。多摩地域の郊外から都心のほうに出るような感覚でしょうか。London Liverpool St.という大きい駅から地下鉄(イギリスでは「underground」と言うのが一般的だそうです)に乗って、テート・ブリテン近くのウエストミンスター駅に向かいました。階段を上って外に出ると、最初に目に飛び込んでくるのは有名な時計塔であるビッグベンです。おとといも遠くから眺めていたはずですが、近くで見るとこんな大きいとは! ウエストミンスター宮殿を横目にテムズ河沿いの芝生を歩きながら、近代イギリスの建築に圧倒されていました。小説家になる前の夏目漱石が英語教育の視察のためにイギリスを訪れたことは有名ですが、文部省から「これからの日本が参考にできることを持ち帰って来い!」と言われて、ロンドンに放り出された漱石が「いやいや、これを参考にするのは無理でしょ!」となったのは、当然だったかもしれません。あまりにもゆたかな近代文明をまえに漱石は神経衰弱に陥り、小説はそのリハビリみたいな感じでした。漱石のロンドン滞在のことについては「倫敦塔」などの随筆で読むことができます。
 テート・ブリテンは素晴らしい美術館でした。中世~近世の作品だけでなく、デミアン・ハーストなどの現代美術からはたまたティルマンスのような写真家の作品まで展示されており、その展示の仕方もコンセプチュアルでした。全然知らなかったのですが、イギリスの絵画にはカリブ系イギリス人や女性を描いたものも多く、それらもイギリスの一部として展示されていました(女性の作品を配した展示部屋にはヴァージニア・ウルフの著書と同じ「A Room Of One’s Own(自分だけの部屋)」というタイトルが付されていました)。このことが印象的で、のちにネットで軽く調べてみると、このあたりはつい昨年に再配備されたようです。賛否両論が多い再展示のようですが、男性中心主義的な歴史の捉え方を見直し、アフリカ系移民や女性まで含めて新しく歴史化しようとする意志に対しては感銘を受けるとともに、多くのことを考えさせられました。個人的には、ロマン主義かつ神秘主義的な詩人として知られるウィリアム・ブレイクが描いた絵やスケッチがひと部屋を使って展開されているのと、装丁家でもあり社会運動家でもあるウィリアム・モリスのワークがたくさん展示されているのが、とても良かったです。ミレイの作品もしっかりと観ることができました。
 テート・ブリテンをあとにして、地下鉄に乗り、同僚がイギリス留学時代に訪れたというピカデリー・サーカス~オックスフォード・サーカスを街ブラ。かなり賑わっており、なんというか渋谷センター街から原宿方面を歩いているようなニュアンスですかね。にしても思ったのは、劇場の多さと身近さについてで、地下鉄の駅にも演劇の広告がすごくたくさん出ているんですね。近代化の早いイギリスの文化の厚みのようなものを感じました。戦後の英文学者・評論家の福田恆存という人が、大衆文化の重要性を説きながらシェイクスピアのことを論じていて、「シェイクスピアなんて高級文化だから大衆性なんてあるのかねえ」なんて思っていたところがありますが、なるほど演劇文化が大衆性とともにあるのだな、ということを感じた気がしました。まあ、一度行っただけの印象でしかありませんが。
 その後、FORTNUM & MASONという有名な紅茶のお店に行き、おみやげを買うなどし、また近くにROUGH TRADEというオルタナ~ポストパンクファンにはおなじみのインディーズ系レーベル/レコードショップがあることも分かったので、寄らせてもらい、ラフトレードを象徴するようなザ・スミスというリヴァプール出身のネオアコ代表格のバンドのLPを買って、チェルムスフォードに帰りました。今日はちょっと羽根をのばすような気持ちでロンドン観光でした。

3/25(Mon.)

 ついに学校視察の最終日となってしまいました。最終日は、最初がアート/テクノロジー系の授業でした。アートクラスでは、自画像を描くためのデッサン技術の初歩を教えてもらい、1時間で鉛筆画のセルフポートレートを描きました。お互いにアドヴァイスをしながら、自由で思い思いの表現をしていたのが印象的でした。教室に帰ると、応用的な英語として、レストランに入った客とウエイターという役割で会話をする、という授業をしていました。こういうのも、実際に英語圏のお店でやりとりをしていることを踏まえると、身の入り方に違いがあるかしれません。お昼休みには、いつものように現地の生徒たちと交流を深めました。あとは、ここにはいちおう書かないでおきますが、しょうもない話題で仲良くなっている人もいて、なんというかティーンのしょうもなさというのは国境や人種をも越えるのだな、と謎の感動をしました(笑)。ジョン・レノンが歌った「imagine」ってそういうことだったのか、と。絶対違いますが。ということで、机上の空論を弄しがちな自分としては、こうやって実際に、目で見て、耳で聞き、皮膚で感じ取るような経験によって知性というものが肉付けされていくのだ、ということを痛感した次第です。その後、シンガポール経由で25時間かけて無事帰国しました。THANX A LOT!!!!!!!

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