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なにもない日と何もしないこと

ときたまそういう日がある。ちょっと前まで忙しかったのに、突然訪れる静けさ。そういう日は電話も鳴らなければメールも大して来ない。社外だけでなく、社内からも。

意識して作られた時間ではないので、突然忙しくなることもあるのだが、本当に何もなく静かに一日が終わってしまうこともある。平穏な一日ってやつだ。

仕事はいくらでもあるものなので、偶然生まれた時間をここぞとばかりに使えば良いだけなのだが、思うように進まない日がある。

これが休日であれば何とも思わない話だが、平日で調子が悪いと何やら罪悪感が生まれる。やろうと思ったことができないことに起因するのだろうな。きっと。

以前ポッドキャスト「テック・ワーク・トーク」で同じテーマで話をしたこともあった。

始めた当初は個々の持ちネタ(経験)や日頃から考えていることを軸に話をしていたテック・ワーク・トークだが、最近は答えがはっきりしていないことをテーマにして、発散した議論をすることが増えてきた。発散させるだけだと悩むだけで終わってしまうので、一応のまとめををすることには気をつけてはいるが。

このときの結論は、自分で自分に対して行動のトリガーになるような偶然性を作り出す努力でもするか、という話で終わった。気が乗っていない日でも、社内外問わず、他者からの依頼や問い合わせがが入ると突然スイッチが入ることが多いので、近い状況を意図的に作れないなって話だった。

・・・

そんな話を思い出したのは、昨晩みた「プーと大人になった僕」で「何もしない」って言葉を繰り返し聞いたから。

「何かをする」「何かができない」という思考はいつも働くけど、「何もしない」を意識することはあまりなかった。仕事の気が乗らない日の対処も、何かをするための手段を考えているわけで、「そういう日は何もしない」とはあまり考えない。その是非がどうのではなく、選択肢としても出てこない。

休日にしても、「今日はもう何もしない!」って日が独身の頃にはあったが、最近はなくなった。

気づかない内に意識から外れてしまうことはたくさんあるのだな。

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