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自己表現と葛藤

ハルキストの友人が、村上春樹の作品はデタッチメント とコミットメントのテーマが通底しているんだ、と教えてくれました。河合隼雄との対談で村上春樹本人がそのフレームワークで回想していますが、初期の作品はデタッチメント に重心を置いているのだが、村上春樹本人の歩みと重なる形で、その後の作品は社会との接続を試みるコミットメントに重心がシフトしていく。

デタッチメント→自分を他者から切り離すことで、自分の居場所を作ること。自分が周りに埋没せず、自分の価値観を大事にすること。
コミットメント→自分の価値観をベースに世の中と向き合い、価値を生み出す一員として活動していくこと。

自分と他者(広くは、社会)との関係性を考える上で面白い概念だなと思いました。

一方で、Russell & Barettは個人の中核感情を快ー不快(感情値)と活性ー不活性(覚醒度)の2軸で表現できるとしています(円周上には基本6感情との関係が示されています。本来は連続的に変化している「色」を明度、彩度、色相という3つの属性で捉えてカテゴリ分けするのと同様、この2つの共通属性によって表現できるのではないか、としています)

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で、この二つを掛け合わせてみました。

スクリーンショット 2020-08-09 午後1.51.17

この4象限のどこかを自分は常に彷徨いながら生きているのかもしれない。

右上を求めて他者と関わり、でもそこで軋轢があって左上に行って、そこから下半分に落ちたりもする。でも、それでも、社会的動物としても、右上を求めていきたい。というのが一つの整理だと思うのですが、右上を可能たらしめるために何が起きているのかをもう少し考えてみると、

・あるがままの自分が他者に受け入れられている(「善くない」「美しくない」自分の側面も含めて受け入れてくれている寛容な他者の存在が前提となっている)

・他者に受け入れてもらうために自分を作っている(自分が仮面を被って環境適合している)

という二つの側面があるように思います。

さらに、時間軸も大事な視点かもしれません。

現在の社会のフレームワークで評価されているということは、本当に斬新な価値を提供できていないという側面もあるのかもしれない。左上の現在地から、進歩が生まれるのかもしれない。

北野武と表現者の対談

20年以上前の動画ですが、北野武が各界の表現者と対談しているのを見つけました。井上ひさしさん、諏訪内晶子さん、市川猿之助さんという三部構成になっていていずれもとても見応えがあるのですが、諏訪内晶子さんとの対談で北野武が語っている内容がとても興味深かったです。コンクールという共通話題で、「俺が勝ちたい」、「ウケなきゃいけない」、「審査員が誰なのか気になっちゃう」、「でもパン食わなきゃいけない」、とアーティストとしての自分との葛藤を吐露しています。お客さんを楽しませる、という第一線で活動し続けてこられた北野さんならではの、真実味のあるお話だと思いました。 

矛盾だらけの自分の内面と真っ直ぐに向き合い続けながらも、社会との接点を広め続ければ、そこに必ず葛藤が生じる。葛藤の意義を考えさせられました。

(ところで、井上ひさしの対談力、聞き上手が秀逸だと思いました)


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