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【短編小説】とんでもねぇ、俺ぁ神様だよ

「明日雨が降らないかな」

 良夫よしおは小学校からの帰り道、真っ直ぐ家には帰らず、通学路にある児童公園のベンチで沈み掛けの夕日をぼんやりと眺めていた。

「何で雨が降って欲しいんだよ」

 その声で我に帰った良夫は立ち上がって辺りを見回したが、周りには誰も居なかった。気のせいかと思い良夫はベンチに座り直したが。

「ここだよ」

 良夫は声のするほうを見た。滑り台のてっぺんに男が膝を抱えて座っている。年格好は二十代後半ぐらいだろうか。髪はボサボサ、無精髭。この暑い時期に黒いコートを着ている。一目見て普通じゃない、と良夫は思った。

「おじさん、暑くないの」

「ああ? 服の事か。気にするな。これしか持ってないんだよ」

 男は良夫に目をやる。

「それで、何で雨が降って欲しいんだ?」

 良夫は少し警戒したが、男との距離が離れていることもあり、返答をする。

「明日、マラソン大会なんだ」

「雨がマラソンと何か関係あるのか」

「僕、太ってるから足遅いんだ。雨が降ったらマラソン大会は中止だから走らなくて良いだろ」

 男は、チッと舌打ちすると、

「何だそんな事かよ」

と、吐き捨てるように言った。

「お前な、簡単に言うけど、雨を降らすってのはめーーっちゃ大変なんだぞ」

 良夫は、まるで自分が雨を降らせているかような口ぶりの男に、ちょっとだけ気になって訊いてみる。

「どうやって降らせるの」

「先ずな、南のほうの海に行って少しずつ水を集めて来るんだよ。ある程度溜まったら雲に固めて陸のほうに持って来る。その雲を高い山とかにぶつけると溜まってた水が雨になって降るんだ。これが結構大変で、持って来るまでに、ちょっとでも衝撃を与えると溜まってた水が全部途中で降っちまう」

「ふーん。でも、この街には山なんか無いけど」

「そんな時はな、雲の中で雷を鳴らすんだ。その衝撃で雨を降らす」

「そんな大げさじゃなくて良いんだ。学校の周りだけ降ってくれれば」

「そんな事したらますます大変だぞ。マラソン大会が中止になるぐらいの雨を学校の周りだけに降らせてみろ。たちまち下水道が溢れて大洪水だ。ヘタすりゃ学校ごと流されるぞ。今流行りのあれだ。ゴリラゲイ雨」

「ゲリラ豪雨?」

「そう、そのゴリラだ」

「ふーん」

 良夫は取り敢えず納得した。それは良夫が求めていた答えでは無かったが。

「おじさん、どうしてそんなに詳しいの? 気象予報士の人?」

「んあ? とんでもねえ、俺ぁ神様だよ」

「神様?」

 やっぱり普通じゃなかった。いけない奴に関わってしまったと良夫は後悔した。自分の事を神様だと言ってのける奴がまともな人間のはずがない。それならと、からかい半分で良夫は男に言ってみる。

「神様だったら僕の願い事を聞いてよ」

「嫌だよ」

 即答だった。良夫は小馬鹿にされたみたいで少し腹が立ったが、男はこう返した。

「お前な、知らない奴がいきなりやって来て、十円やるから言う事を聞けって言われて言う事聞くか」

「聞かない」

「だろ。世の中そんなに甘くねえわ。大体、人間はいつも本当の願い事を言いやがらねえからな。あー、愚痴ったら腹減ってきた。おい、そこのをひとつくれよ」

「僕、食べ物なんか持ってないよ」

「カバンの中に菓子があるだろ」

 良夫は心底驚いた。学校への菓子の持ち込みは校則で禁止されている。ランドセルの中に旨え棒が入っている事は誰にも内緒で、友達にも知られていないはずだったからだ。

 仕方なく、良夫はランドセルから旨え棒をひとつ取り出すと、滑り台のてっぺんに向かって投げた。

 「おう、ありがとよ」

 男は身を乗り出して受け取ると、

「最近の菓子は旨えんだな」

 と、旨え棒をかじりながら言った。

「んで、何を叶えて欲しいんだ。雨を降らすのは無しだぞ」

「何でも叶えてくれるの?」

「心からの願い事だったらな。俺は借りを作らない主義なんだ。菓子の分はちゃんと返すぞ」

「それじゃあ……」

 良夫は少し考えて、

「マラソン大会で優勝したい」

「無理だな」

 即答だった。

「何だよ、何でも叶えるって言ったじゃないか」

「駄菓子一個で頼む願い事じゃねえだろ。それに、心からの願い事でもねえしな」

「本当に優勝したいんだよ」

「嘘つけ。第一、お前を優勝させたって誰も得しねえし。お前が走るの遅くたって誰の迷惑にもなってないだろ」

「もういいよ!」

 そう叫ぶと良夫は走り出した。

 公園を出て、良夫の足は家に向かっていた。結局、良夫の憂鬱が解消される事は無かった。むしろ神様を名乗る怪しげなオッサンに、大事な旨え棒を一本あげてしまった悔しさが上乗せされていた。明日はどうあってもマラソン大会に挑まなければならないようだ。そんな事を考えながら、とぼとぼと歩き続けて、やがて良夫は自宅の玄関先に着いた。

「ただいま」

 扉を開け、そう元気無くつぶやくと、良夫は運動靴を脱ぎ捨てた。靴が跳ねると、中から何かが飛び出して来て、チャリーンと音を立てて転がった。

「あっ、十円だ」

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