見出し画像

【連載小説】無職の僕が大企業の社長を選ぶ話(エピローグ)

【本編無料】
 小説本編は無料でお読み頂けます。
【前回までのあらすじ】
 堤 孝晴は刑部会長の遺言状の真意を解き明かした。全ての役目を終えた孝晴は刑部邸を去る。

 僕はひと月ぶりに、自宅アパートに帰って来ていた。
 後継者を決めてから、後の事は小林さんに任せる事にした。元々僕には縁の無い世界の話だ。
 あとで小林さんに聞いたところでは、後継者が発表された直後、取締役会はかなり紛糾したらしい。
 後継者決定後の理事長一派の動きは早かった。理事長は、表向きは久保川陶馬氏の嘘を見抜けなかった責任を取ると言う形で辞任を申し出た。恐らくクーデターが失敗した時の為に予め用意しておいたシナリオなのだろう。美香さんたちも、それ以上理事長たちを追求する事はしなかったそうだ。理事長は多額の退職金を手に弘済会を去った。多少の金を払ってでも居て欲しくない人に早々に出て行って貰ったのだ。僕には今ひとつ釈然としないが、まさに大人の決着だ。そして理事長に加担していた理事たちも各々の理由で辞任した。
 取締役会の反会長派を抑えて社内をまとめたのは、あの冬川専務だったそうだ。専務はスミさんや弘済会に良い印象を持っていなかったようだが、スミさんが理事長一派で無い事が分かったので協力してくれたのだ。刑部グループには年齢に関係なく能力のある人材を登用する社風があるのも追い風となった。スミさんの評判は本社の人間なら誰もが知るところだからだ。専務は反会長派の取締役たちを道連れに辞任するつもりだったようだが、美香さんたちが強く慰留して残って貰う事になったそうだ。いかに才媛揃いの刑部グループと言えど、専務の能力と経験は今後必要となるはずだ。
 その後、しばらくして決議報告書が届いた。そこには刑部グループ役員の新体制が記されていた。


  代表取締役 社長   白石陶弥

  取締役 社長補佐   刑部美香
  取締役 広報、渉外  刑部柚香
  取締役 海外事業   刑部エリカ

  取締役 専務     冬川英一
  ……
  ……


 スミさんは正式に社長に就任した。美香さんたちは取締役としてスミさんを支えるようだ。
 そのスミさんは刑部家に孫として迎えられ、今は邸で一緒に暮らしているらしい。
 宮殿のような邸での暮らしや、刑部三姉妹、いや四姉妹と過ごした日々は、まるで夢のようで、思い返せば大変だったけど、あっという間の一ヶ月間だった。
 報酬もたっぷり貰えたし、しばらくのんびりしながら、次の仕事を探そうと思っていた。
 ある日突然、僕の銀行口座に大金が振り込まれるまでは。

◇◇◇

 後日、僕は美香さんたちに呼び出され、刑部邸の会議室にいた。美香さん、柚香さん、エリカさん、そしてスミさん。どう見ても久し振りの再会を喜ぶような雰囲気じゃ無い。
 何だか皆さん大層ご立腹の様子だ。僕、何か気に障るような事したっけ。全く身に覚えが無いのだけれど。
 険しい顔の美香さんが僕に詰め寄る。
「どうして臨時株主総会に出席しなかったの。招集通知は届いていたわよね」
 普段はのほほんとしているエリカさんも口を尖らせている。
「おかげで日本滞在が延びちゃったよー」
 僕は背中に脂汗が流れるのを感じた。
「新しい仕事を探さないといけないので……」
 と言いかけた僕に、美香さんの突き刺さるような視線が浴びせられた。
「あんた、株式の一〇パーセントを持ってるでしょう。立派な主要株主なの。総会には出て貰わないと困るのよ」
「後継者が決まったら、僕の役目も終わったんじゃ……」
「もしかして、孝晴さん、決議報告書をお読みにならなかったのですか」
 スミさんが訊いてきたが、一体何の事だろう。報告書には一応目を通したはずだが。
「スミさんが社長で、皆さんは取締役になったと」
「やっぱり」
 柚香さんが呆れたように言った。
「孝晴、この報告書をもう一度読んでみてー」
 エリカさんに渡された報告書を、もう一度頭から読んでみる。


  取締役選任の件

  代表取締役 社長   白石陶弥

  取締役 社長補佐   刑部美香
  取締役 広報、渉外  刑部柚香
  取締役 海外事業   刑部エリカ

  取締役 専務     冬川英一
  ……
  ……
  ……
  取締役 副社長    堤 孝晴


 は?
 前に読んだ時には気が付かなかったが、何だか見慣れない、いや見慣れた文字列が有るような無いような。


  取締役 副社長    堤 孝晴


「えっ……副社長……えーーーっ! 聞いてませんよ、そんな話!」
 いや、どう考えてもおかしいだろ。どうして僕が副社長なんだよ。僕は経営なんかズブの素人だぞ。
 美香さんは腰をクネクネさせながら口を尖らせる。
「だってスミがね、『あーん、孝晴くんがいないと私、心細くて』って毎日泣いてるもんだからさあ」
「わ、私そんな事言ってません!」
 スミさんは顔を真っ赤にしながら必死に否定している。
「あら。毎日泣いてるのは本当でしょ」
 美香さんにそう言われてスミさんは口ごもった。
「……どうしてそれを」
「まあ、隣の部屋だし。ちょっと様子を見ようとしたら、そんなだったから」
 スミさんは申し訳なさそうな表情を見せる。
「心配掛けてごめんなさい。自分なりに覚悟はしてたんですけど、夜、独りになると不安で……」
 スミさんほどの才媛でも、やはり大企業の社長の重圧は相当のものらしい。選任した僕も心が痛む。
「そんな訳だから。お願い。スミを助けてあげて」
 美香さんの目からは先程のおちゃらけは消えていた。
「わたしくしからもお願いします」
「孝晴、お願いー」
 柚香さんとエリカさんも真剣だ。
「でも、僕が居たって……僕には何も出来ませんよ」
「良いのよ何もしなくても。あんたが居てくれるだけで、スミは安心できるの」
 僕はスミさんを見た。口には出さないが懇願するようなスミさんの目。そうなんだよな。この人は、ともすれば自分で全部背負い込んじゃう人なんだ。あの小さな肩に刑部グループを背負い込むなんて無理がありすぎる。選んだのは僕なんだけど。
「それにね……」
 美香さんがもったいぶった素振りを見せる。今度は何だ。まだ何かあるのか。僕は身構えた。
「もう役員報酬振り込んじゃったから、キャンセルは無しで」
「えっ、あれって株式の配当金じゃないんですか」
「ウチの配当金があんなはした金なわけ無いでしょ」
 はした金って……三年は遊んで暮らせる額だったぞ。
「それに、この人事はお祖父様の遺言でもあるのです」
 柚香さんの言葉に僕は驚いた。どう言う意味だ。遺言状にはそんな事書かれていなかったが。
「ほれっ」
 美香さんが分厚いファイルを差し出した。最初の何ページかを読んだ僕は驚かずにはいられなかった。
「これは!」
 ファイルは僕の身辺調査書類だったのだ。学歴や、今までに経験した仕事などが、かなり詳細に調査されている。
「小林さんからよ。あのオッサン、本当タヌキだわ」
 美香さんの言葉をスミさんが補完してくれる。
「お祖父様は、孝晴さんのお父様を死なせた事を悔いていました。それで、孝晴さんを刑部グループに招き入れるためにこんな計画を立てたようです。もちろん、孝晴さんが期待に添う人材であれば、ですけど」
「つまり、今回の一件は後継者を決めると同時に、あなたの能力を見極めるためのテストだったのです。そして、あなたはその期待に応えたのよ」
 柚香さんの言葉は嬉しいが、僕には過度な期待だと思った。会長も無茶な事をやってくれるものだ。
「そのファイルにあったけど、あんた、あの聖帝大学の特待生だったらしいじゃない。そのまま進んでれば今頃はエリート街道まっしぐらだったのに、何で辞めちゃったの?」
 美香さんからの質問は、今までに周りの人間から何度もされていたものだった。答えはごくありふれたものだ。
「簡単な理由ですよ。特待生になって学費は免除されても生活費までは出ませんから。学業とバイトの両立が出来なかったんです」
 美香さんは「ふーん」と素っ気なく返し、さらっととんでもない事を言い出す。
「あんた、もう一回大学行かない? 会社運営に関わるなら、経営や経済も勉強して欲しいし」
「刑部経済大学なら社会人入学枠があります。学費も会社で負担しますよ」
「孝晴なら出来るよー」
 柚香さんもエリカさんも他人事だと思って簡単に言ってくれる。大学を辞めてから何年も経っている。今更受験勉強なんて、どうすれば良いんだろう。
「邸に部屋も用意するから。家賃は格安にしておくわ。じゃあ、そう言う事でヨロシク」
 美香さんは僕の意見を聞く事無く、話をまとめてしまった。これはどうあっても断れない感じだな。新しい仕事を探す手間が省けるのは有り難いけれど。
「ねえー、せっかくだから、孝晴の部屋はスミちゃんの隣にしないー?」
 エリカさん、また余計な事を思い付いたな。あの顔は絶対良くない事を考えている顔だ。
「それは良いねえ。スミは最近寝不足みたいだから、ちゃんと寝てるか、孝晴くんに毎日寝顔を確認させようか」
 美香さんもニヤニヤしながら乗ってきた。いつもながら見事な連携だ。
「スミさんは毎日多忙なようですから、ちゃんと下着を取り替えているか、孝晴さんにスミさんの下着の色を報告して貰いましょう」
 柚香さんが参戦した。ダメだ。こうなるともう手が付けられない。
「そんなのダメに決まってます! ちゃんと毎日八時間寝てます! 下着も替えてます! 色は白しか持ってません!」
 そこまで言ってスミさんは、唖然としている僕の顔を見るなり、透き通るような白い肌を今まで見た事の無いほどに紅潮させた。根が真面目なスミさんは三姉妹の巧みな誘導尋問で、まんまと下着の色まで暴露させられてしまったのだ。この三姉妹に掛かれば人を陥れる事など造作も無いのだ。
「とにかく、隣が孝晴さんはダメです。絶対ダメです!」
「あらスミ、孝晴くんは嫌じゃなくてダメなんだ」
「良かったですねえ孝晴さん。ダメだけど嫌じゃないんですってよ」
「嫌じゃないんだねー」
「違います! 嫌じゃないけど! 孝晴さんだからダメなんです!」
 興奮しすぎて裏返った声で必死に抗議するスミさんを、三姉妹はますます面白がってからかっている。スミさんがこの域に到達するには、まだまだ修行が必要だろう。
 また、この邸でスミさんたちのとの新しい生活が始まる事になりそうだ。会社運営なんて想像も付かないけれど、正直なところスミさんと一緒に仕事できるのは嬉しい。
 刑部三姉妹とすっかり打ち解けた様子のスミさんは、はにかんだ笑顔を僕に投げ掛けてくれた。

(完)

【本作は今回で完結です】
 お読み頂きありがとうございました。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?