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【連載小説】無職の僕が大企業の社長を選ぶ話(第7話)

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【前回までのあらすじ】
 堤 孝晴はエリカの提案で美香の仕事を見学し、その仕事ぶりに感銘を受けた。

 この日は柚香さんの仕事を見学することになっている。
 先日、美香さんの仕事を見学したことで、資料からでは分からない美香さんの人となりを、多少なりとも知ることが出来、大変参考になった。そこで、柚香さんについても仕事を見学したいとエリカさんに頼んだのだ。
 美香さんの時には快諾してくれたエリカさんは、何故か柚香さんのことでは協力を渋った。面倒くさがるエリカさんをなだめすかして、次の機会には例のコーヒーショップで新作の何ちゃらフラペチーノを奢る約束をして、何とか協力を取り付けた。
 指定された時刻になり、僕とスミさんは玄関に出た。今日はスミさんも僕に同行してくれる。エントランスには黒塗りのミニバンが横付けされていた。美香さんはリムジンを使っていたが、柚香さんはミニバンを使っているのか。
 程なくして柚香さんとエリカさんがやって来た。柚香さんのミニバンは七人乗りのようだ。運転手さんが電動スライド式のドアを開け、中央の列に柚香さんとエリカさん、後ろの列にスミさんと僕が座る。
「柚香さんはミニバンを使っているんですね」
「ええ、屋根も高いし広くて便利ですので。芸能事務所の方もミニバンを使われているところが多いですよ」
「芸能事務所?」
「あれぇ、言ってなかったっけー。わたし達、これからテレビ局に行くんだよー」
「今日は経済番組の収録があるんです。わたくしはゲストに呼ばれているんですよ」
 そう言えば、柚香さんはグループの広告塔だ。テレビ出演も多いと資料にもあった。
「だから面倒くさいって言ったんだよー。あそこセキュリティがめっちゃ厳しいからー」
 エリカさんがふてくされた表情で不満を口にした。
「見学するには事前に申請しないといけなんですよ」
 柚香さんが補足してくれた。それでエリカさんは渋っていたのか。ちょっと悪いことをした。それならそう言ってくれれば別の日でも良かったのに。
 テレビ局では、事前申請のおかげで無事見学を許された。もちろん柚香さんの関係者と言う事もあるのだろうが。
 柚香さんがゲスト出演する討論番組の収録が始まった。僕らは邪魔にならないよう、スタジオの奥のほうから見学する。
 柚香さんは、番組の前半、論客の質問に対して、のらりくらりと返していた。発言を誘導して言質を取ろうとする論客に対して上手く話を逸らしていたのだ。しかし後半になると、論客の質問に対して的確な答えを返している。
「凄い。普段のおっとりした柚香さんからは想像できない。とても博識だし、やり取りも的確だ」
「まさに百戦錬磨と言う感じですね」
 スミさんも同様の感想を持ったようで、しきりに感心していた。
 エリカさんは普段と違い何も語らずに腕組みして、討論する柚香さんを見つめていた。

◇◇◇

 収録を終えて、僕らは車に戻ってきた。これから本社に移動するらしい。車の中で、僕は柚香さんに収録の感想を伝える。
「凄い論戦でしたね」
「ゲストの発言を、番組が予め決めた結論に誘導しようとするのは、テレビではよくあることです。広告塔と言えど、いい加減なことは言えませんから緊張しました」
 柚香さんは笑うが、その表情には余裕を感じる。
「でも、あの論客達と互角に渡り合うなんて、相当の博識じゃないと出来ないんじゃないですか」
「実は、あれは付け焼き刃なんですよ。事前に出演者の著書を読んだり、過去の発言内容を調べておいて、今回どのようなことを訊いてくるのかを想定しておくのです。番組プロデューサーの嗜好を把握しておくこともあります。広告塔には広告塔としてのやり方があると言うことです。大したことはしていませんよ」
 柚香さんは謙遜するが、とんでもない。それをいとも簡単にやれる人間が、世の中にどれほどいると言うのか。そのぐらい僕でも分かる。見た目だけの広告塔とは訳が違う。この人は本物だ。

◇◇◇

 僕らを乗せた車は本社ビルの前に到着した。
 柚香さんが担当部署のフロアに入ると、全員が立ち上がって迎えた。
「皆さん、お疲れ様」
 柚香さんはにこやかに挨拶した。
 柚香さんはしばらくここにいるらしく、邸に戻るまで少し時間があるようだ。
「この機会に本社を見学なさったらどうでしょう」
 柚香さんの提案だった。そうだな。美香さんの時は忙しすぎて本社を見学している余裕は無かった。せっかくなのでそうするか。
 僕は本社を見学させて貰うことにした。案内役はスミさん。エリカさんも同行すると言う。
 見学と言っても、ここで何か製品を作っている訳じゃないし、組織図と照らし合わせて、どのフロアにどの部署がある、みたいなものしか分からない。一応フロアは覗かせて貰えるが、まるで年始の挨拶回りのようだった。
 僕らはあるフロアに到着した。
「ここは弘済会のフロアです」
 スミさんは他のフロアと同様に事務的に説明してくれた。
「スミちゃん」
 弘済会の女性職員達がスミさんを見つけて駆け寄り、たちまち話の輪が出来た。スミさんは女性職員達と明るく親しげに話している。
「スミちゃん、楽しそうだねー」
 エリカさんがスミさんを見て目を細め、僕の腕を肩で押して同意を求めた。
「そうだね」
 あれがスミさんの本来の姿なのだろう。やっぱりスミさんには笑顔のほうが似合っている。
「理事長は留守のようです」
 スミさんが戻ってきて僕に告げた。今、理事長に会わなければならない理由は特にない。
 僕らは弘済会を出て、次のフロアに向かうことにした。

【本編ここまで。次回に続きます】

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