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【連載小説】無職の僕が大企業の社長を選ぶ話(第10話)

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【前回までのあらすじ】
 冬川専務は堤 孝晴に、理事長に不審な動きがあることを告げ、「白石スミには気を許すな」と警告した。

 この日、僕らが資料を広げていると、エリカさんが執務室にやって来た。
「おおー、やってるねー」
「エリカさん、ここんところ毎日来るね」
「まあねー、暇だしー」
 海外法人勤務のエリカさんは、遺言状の為に呼ばれて来日し、後継者が決まるまで邸に滞在することになってしまったらしい。美香さんたちが出勤した後は、僕らの部屋に遊びに来るのが日課になっている。
「仕事はしなくていいの?」
「業務の指示はメールやリモートで出来るからねー。それが終われば何もすることが無いんだよー」
 エリカさんは毎日やって来てはこうやって暇を潰しているのだが、スミさんにはそれが面白くないらしい。この人、根が真面目そうだからな。
「エリカさん、堤さんはお仕事中ですから、少し遠慮して頂けませんか」
 あーあ、遂に言っちゃったよ。今後の火種にならなければ良いけど。
「えー。ねえ孝晴、わたし、邪魔になってないよねー」
 エリカさんが少しふて腐れた風に、僕にしな垂れかかってくる。
「う、うん」
 邪魔には思っていないが、そうやって後ろから抱きつかれて胸を押し付けられると、仕事の手は確実に止まるね。
「ねえ孝晴、どっか遊びに行かないー?」
「えっ、今から?」
「そうー、今からー」
 それはさすがにどうなんだろう。僕はスミさんをチラリと窺う。エリカさんに胸を押し付けられてニヤけているだろう僕の顔を、まるで汚物でも見るようなスミさんの目が見据えている。
「遊興費は経費に出来ませんよ」
 冷ややかに告げると、スミさんはプイと横を向いた。認めてはくれたが、この瞬間、スミさんの僕に対する評価は地に落ちたに違いない。

◇◇◇

 エリカさんには社用車が与えられていないので、移動は専らハイヤーだ。僕らが乗り込んだ車は、駅前を目指して走り始めた。
「お昼は、いつもどうしてるのー」
 エリカさんが訊いてきた。そう言えば、エリカさんはいつも昼前になるといなくなるよな。
「レトルト食品やインスタントラーメンを食べてる。休みの日に買い溜めしてるんだ」
「それって毎日ー?」
「そうだけど」
 エリカさんは、信じられないと言う風に頭を振った。
「毎日そんなので、よく我慢出来るねー」
「エリカさんは、お昼はどうしてるの。いつもいなくなるけど」
「食事は毎日、朝昼晩と料理人に作ってもらってるよー」
 ああ、そうだ。この人、大富豪の孫だったんだよな。すっかり忘れてた。そもそも僕らとは住む世界が違うのだ。
「夕食はどうしてるのー」
「同じだよ」
 今の今まで何とも思ってなかったのに、何か急に、言ってて悲しくなってきたよ。
「夜はわたしたちと一緒に食べようよー。同じ屋根の下だしー」
 気を遣ってくれたのか、エリカさんからのありがたい申し出だったが。
「でも、会計が別らしいし。僕の費用は弘済会から出てるんだ」
「料理人が作るんだし、三人も四人も変わらないよー。それに夜はスミちゃんもいないからバレないよー」
 そうだな。スミさんには悪いけど、夕食だけでもお呼ばれしようか。もし見つかって駄目だと言われたら食事代を負担すれば良いだろうし。
「じゃあ、お願いするよ」
「分かった。帰ったら柚香姉に話しておくよー」
 やった。エリカさんのおかげで、久し振りにまともなご飯が食べられそうだ。

◇◇◇

 駅前に来てはみたものの、小さな商店街と飲食店があったが、若い娘が遊ぶようなところはない。僕はどうしようも無くなって周りを見渡すと、商店街に一軒の甘味処を見つけた。店内を覗いてみると、客は老人ばかりだ。そりゃそうか。平日の昼間だし。
 他に行くところも無さそうなので、僕らは、この店に入ることにした。
 店に入ると、中年女性の店員さんは他の客から少し離れたテーブル席に僕らを通した。どうやらカップルだと思われたらしい。おかげで気兼ねなく過ごせそうだ。そうでなくともエリカさんは美人で目立つのだ。
 甘味処をよく知らないエリカさんに代わって、僕はあんみつを二つ注文した。エリカさんはあんみつを食べるのが初めてだったらしく、出されたあんみつを見て喜んでいた。気に入ってくれて良かった。
「後継者を誰にするか、決めたのー?」
「まだだよ、正直よく分からないんだ」
「そうだよねー。期限まで日にちがあるし、ゆっくり考えればいいよー」
 あんみつを食べながらでも、やっぱり話題はこれになってしまう。他に女の子の喜びそうな話題を知らないしなあ。
「エリカさんは後継者になりたい?」
「わたしはー……よく分からないから、いいやー」
 エリカさんはまるで他人事のようだ。
 正直なところ、現時点での最有力は美香さんだろう。やはり現役の社長と言う点で経験と実績がある。柚香さんも思っていたよりかなり勉強家で博識だが、実務に関しては疑問がある。エリカさんは優秀な人には違いないが、経験が圧倒的に足りない。
 僕が話題に困って辺りを見渡すと、壁に温泉地のポスターが貼ってあるのが見えた。
「この近くに温泉地があるんだね」
「あー、二駅先だよー。結構有名で、世界中からお客が来るよー」
「そうなんだ。エリカさん、ずいぶん詳しいね」
「前に行ったことあるよー。うちのリゾート会社が開発したところだからー」
 刑部グループってリゾート会社も持ってるのか。凄いな。もう何でもありだな。
「今から行ってみるー?」
「さすがに今からじゃ無理かな。邸に帰れなくなるよ」
「泊まれば良いじゃないー。一緒に寝ようよー」
 いきなり何を言い出すんだこの娘は。
「だって、あそこの旅館、二人以上じゃないと泊まれないよー」
 なんだ、そう言うことか。大きい旅館とかだと、そんなところも多いよね。この人、たまに日本語がおかしくなるから勘違いしちゃったよ。
「それでも男女が一緒に寝るのは駄目だろう」
 僕は気持ちを落ち着かせようと、お茶を一口含んだ。
「えー、セックスなんてスポーツみたいなものだよー」
 ぶーーっ!
 僕は盛大にお茶を吹いてしまった。まさかの、そのものズバリの意味だった。エリカさんにお茶が掛からなくて良かった。いや、そう言う話ではない。
 エリカさんは慌てふためく僕を見ながらニヤニヤ笑っていた。きっと冗談だ。そうに違いない。そうじゃなきゃ困るんだ。

【本編ここまで。次回に続きます】

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