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【連載小説】無職の僕が大企業の社長を選ぶ話(第9話)

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【前回までのあらすじ】
 堤 孝晴は本社で冬川専務に出会う。冬川は孝晴の父の同期で、三姉妹の父、春樹のことを語った。

「窪川陶弥については、何かご存じないですか」
 僕は冬川専務に、もう一つの疑問を訊いてみた。
「もう一人の孫と言う人物の事か。その人については私も知らない。私の知る範囲では、春樹君の周囲に窪川と言う人物が居た覚えは無いな」
 それはそうか。専務が知っているなら、遺言状の開示時点で窪川氏の消息が分かっていても不思議じゃない。少なくとも母親の名前ぐらいは分かるだろう。
「春樹氏はどうして誰とも結婚しなかったのでしょう」
「それは本人たちのみぞ知る話だが、当時は色んな噂があった」
「噂、ですか」
「美香さんの母親は、何故か春樹君との結婚を固辞したらしい。ちょうど春樹君の社長就任直前の時期だったので、スキャンダルになるのを恐れて身を引いたのではないかと言われていた」
 なるほど。いかにもありそうな話だが、あくまで噂の域を出ない。
「柚香さんの母親は、いわゆる恋多き女性で、他にも交際していた男性が居たそうだ」
 うーん、その話、今の柚香さんに重なるものがあるな。まあ、これも噂だからな、話半分で聞いておこう。
 どちらも、今の美香さんや柚香さんには関係のない話だ。そもそも噂だし。この話は一旦忘れよう。
 専務の話も終盤に差し掛かった頃だった。
「それから」
 専務は、周りに人の気配が無い事を確認し、声のトーンを下げる。
「あの白石スミには気を許すな。彼女が弘済会の人間だと言う事を忘れるなよ」
「どう言う事です?」
「実は、弘済会、いや理事長の動きに不審なところがある事を掴んでいる。何か仕掛けてくるかも知れない。弘済会は、君が後継者を選ばない場合、会社の全株式を手中に出来るのだろう?」
「まさか、乗っ取り、ですか」
 にわかには信じられないが、確かに株式を手に入れれば、そのぐらい簡単に出来るだろう。いきなりキナ臭い話になってきた。
「確証は無い。だが用心はすべきだ。君が後継者を決められれば良いが、何らかの工作や妨害が入るかも知れない」
 考えた事も無かった。しかし、スミさんを信用するなと言われても、毎日一緒にいる人だ。調査には協力が不可欠だし、急に離れたら余計に怪しまれる。どうしたものか。
 専務は弘済会の事を念押しして、ポケットから、メモリーカードを取り出し、僕にくれた。
「資料室のデータのコピーだ。君に会えたら渡そうと思って用意していた。調査に使ってくれ。もちろん社外秘だから取り扱いには注意してくれよ」
「ありがとうございます」
「また何か知りたい事があったら、いつでも言ってくれ」
「分かりました。宜しくお願いします」
 会議室を出て、僕はスミさんに連絡を入れ、柚香さんのところに戻ると伝えた。
 怪しいとは言われたが、後継者の座を狙っているのは果たして弘済会だけなのだろうか。三姉妹の誰かが後継者の座を狙っていても不思議ではない。専務の情報だって間違っているかも知れない。それぞれが何らかの意図を持って、自分に都合の良い情報を流している可能性もある。これじゃ、僕の周りに信用できる人は誰もいないと言う事になってしまう。疑心暗鬼だ。この考えは良くない。しばらく、この事は僕の心の内に仕舞っておこう。
 僕が柚香さんのところに着くと、既に準備を終えた柚香さんたちが待っていた。
「孝晴、約束忘れてないよねー」
 エリカさんがニヤリと笑う。
「さあ、何の事かな」
 僕がとぼけると肘鉄が返ってきた。
「分かった分かった」
 僕たちは車に乗り込み、ショッピングモールへ向かった。
 車の中で、僕はスミさんに資料の事を訊いた。
「今日は見学のために入室しましたが、邸にある資料は、資料室の資料と同じ物です」
 やはりそうか。と言う事は、専務のくれたデータも、あまり意味が無いかも知れないな。
「孝晴、さっきからスミちゃんばっかり見てるねー」
 エリカさんがニヤニヤしながら指摘した。さっき専務に言われた事が気になって、必要以上にスミさんに視線を向けていたらしい。
 隣に座っているスミさんは怪訝な表情で僕から離れるように身体をよじった。
「何もやましい事は考えてないぞ」
「どうだかねー。いっそ今ここで告白しちゃいなよー。応援するからさー」
 エリカさんは心にも無い事を言って僕らの反応を楽しんでいるし、スミさんはまるでケダモノから身を守るように肩をすくめている。勘弁してくれよ。もう、こうなったら奥の手だ。
「あんまりからかうなら、エリカさんにはフラペチーノ奢ってやらないぞ」
「わー、ごめーん、もう言わないー」
 エリカさんはようやく大人しくなり、一連のやり取りを黙って見ていた柚香さんは優しく微笑んでいた。
 車がショッピングモールの駐車場に着くと、真っ先にエリカさんが飛び出して行く。
 柚香さんは車で待っているらしい。確かに有名人だし、あまり人混みに出るのは良くないのだろう。
「柚香姉もストロベリーミルクフラペチーノで良いよねー」
「ええ、お任せするわ」
 柚香さん、エリカさん、スミさん。美香さんも含めた、この人たちが後継者の座を狙って裏で暗躍しているなんて、とても思えない。僕は何か重要な事を見落としているのではないだろうか。
「あの、堤さん」
 スミさんは上目遣いでこちらを見ているが、僕はさっきの事もあり、スミさんを直視できない。
「な、何でしょう」
 スミさんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「堤さんが降りてくれないと、私が降りられません」

【本編ここまで。次回に続きます】

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