見出し画像

【短編小説】異世界バー

 その店の、分厚い木の扉を開けると、目の前に広がるのはファンタジーの世界。レンガの壁を模した内装。その壁には様々な刀剣や盾が飾られている。もちろん全部イミテーションだ。ろうそくを模した薄暗い照明に照らされた、飾り気の無い木製のテーブルでは樽を模したジョッキで客が酒を飲み、肉料理を頬張っている。ここはコンセプトバー。ファンタジー世界の冒険者ギルドを具現化したような店だ。店長もウェイトレスも、そして客達もコスプレをして異世界の人物になりきっている。

 バーカウンターから客席の様子を窺いながら、ウェイトレスが店長に小声で話しかける。

「私……正直、異世界ファンタジーってほとんど知らないんですよ」
「ああ、俺もだよ。流行りに乗ってみたが、そこまで詳しくはないかな。開店するにあたって、その手の有名どころの小説やアニメは読んだり観たりはしたけど」

 店長は小声で、事もなげに言ったが、ウェイトレスはまだ不安そうだ。

「これ系の人って設定とかにやたらこだわる人が多いらしいじゃないですか。もしホンモノの人に、その辺りを突っ込まれたら、私達の浅い知識じゃ到底太刀打ち出来ないですよ。文字通り付け焼き刃ですよ」
「そん時ゃそん時よ。流行りが去れば別の店にすれば良い。向かいの店見てみなよ。最初は白たい焼き屋だったのがタピオカミルクティー屋になって、今はマリトッツォ屋だぜ。フットワークの軽い事。ウチらもお客も楽しくやれればそれで良いんだよ」

 ウェイトレスと店長がそんな事を話していると、入口の分厚い木製ドアが重々しい音を立てて開き、やつれた感じの若い男が入って来た。傷だらけの革の胸当てと手甲、分厚い革靴にすね当て、背中には大剣を収めた鞘を背負っている。

 この店にはコスプレ客がよく来る。今日も奥のテーブルではそれらしい衣装の二人組が飲んでいる。二人組の衣装は既製品なのか特注なのかは知らないが、通販で売られているようなコスプレグッズによくある、見た目を似せただけの安物ではない、一体幾ら掛かっているのかと驚くほど精巧な作りだった。

 一方、この男の衣装はまるで本当に戦闘の帰りのように傷んでいた。今までのコスプレ客とは明らかに違う雰囲気にウェイトレスは一瞬たじろいだ。

「い……いらっしゃませ。当店のご利用は初めてですか」
「ああ、初めてだ。ギルドカードを作りたい」

 若い男はぶっきらぼうに答えた。ギルドカードとは本来は冒険者が仕事を受けるために能力や経歴を登録した登録証の事だが、この店ではただのスタンプカードに過ぎない。

「こちらがギルドカードです。等級ランク銅級ブロンズからスタートして、ご利用毎にスタンプを押します。十個溜まるとランクアップします。黄金級ゴールドになるとご来店毎にノンアルコールドリンク一杯、白金級プラチナになるとアルコールドリンク一杯を無料サービスします」

 ウェイトレスは出来る限りにこやかな顔を作ってテンプレートテンプレ通り返答した。

「クエストはこなさなくて良いのか」
「クエスト?」

 店長が横からウェイトレスに囁く。

「冒険の事だよ」

「ああ、一回千円以上のご利用で大丈夫ですよ」
「クエストもスキルも要らないとは、こちらのギルドは変わってるな」
「そうなんですか。他所のお店は知らないので」

 若い男にテンプレに無い事を次々訊かれたウェイトレスは戸惑いながらも何とか応対した。

「ところで今夜の宿の手配を頼む。それから、剣の手入れをしたい。頼めるか」

 若い男は背中から大剣を降ろすと鞘から少し剣を抜いて見せた。鈍い光を放つ刀身はまるで本物のような凄みがあったが、刃こぼれが酷い。

「あっ、えーと。当店は宿泊も修理も出来ないんですけど……」

 ウェイトレスの返事に、若い男は大層驚いた顔をした。

「一体どう言う事だ。冒険者ギルトに宿と武器屋が無いなんて。大きなクエストの時には人を集めないといけないし、相応の武器も必要になるだろう。普段はどうしてるんだ」

 些細な設定のアラを探して指摘し悦に入るようなオタク客は以前にも来た事があった。たじたじになっているウェイトレスを横から見ていた店長は、ウェイトレスでは対応しきれないと思い、間に割って入る。

「あ……あの、ウチはコンセプトバーなんで、そこまではちょっと」
「あんたがギルドマスターか」

 やつれてはいるが鋭い目つきで若い男は店長に問うた。

「え、まあ……そうです」
「他のギルドもこんな感じなのか」
「分かりません。あいにく異世界には行ったことが無いので」

(このお客はこの手の店によく行く人なんだろうか。他所の店では宿の手配もしているのかな。酒を飲む人も多いからタクシーや運転代行だけでなく泊まりの人も多いのかも知れない)

 店長がそんな事を考えていると、奥のテーブルで飲んでいる二人組から声が掛かった。

「兄ちゃん、その辺でやめときなよ」

 戦士の格好をした大柄の男が若い男に声を掛けた。

「こちらにはこちらのやり方があるってこった。それより、こっちへ来て飲みなよ」

 ずいぶん酔った風な戦士の男の向かいには魔道士の格好をした若い女が座って酒を飲んでいる。若い男はその声に従い、同じテーブルに着くと、魔道士の女はウェイトレスに手を上げて合図した。ウェイトレスは樽ジョッキを持って来て若い男の前に置いた。

 魔道士の女が少し赤い顔に薄笑いを浮かべながら尋ねる。

「あんた、冒険者ギルドに詳しいようだけど、どっから来たんだい。まさか異世界って言うんじゃないだろうね」

 若い男は短い沈黙の後、答える。

「南ローラシアだ」
「何だって!」

 若い男の言葉に魔道士の女と戦士の男が同時に叫んだ。

 戦士の男は今までの酔いが吹っ飛んだように驚いた表情で若い男に詰め寄る。

「南ローラシアだと! じゃあロードドラゴン討伐の」
「知っているのか」

 今度は若い男が見開いた目を戦士の男に向けた。

 店長とウェイトレスはカウンターの奥で男達の話に聞き耳を立てている。

「あの人達、何の話してるんですかね。店長、分かります?」
「分からないな。新しいゲームソシャゲか何かかねえ。次々新しいのがリリースされるから、いちいち追い切れないよ。若い子達はよく課金できるよなあ」

 戦士の男は思い出すように忌々しそうな目つきで樽ジョッキの酒を煽った。

「ああ。俺達もあのクエストに参加していたんだ。あの時、転送魔法陣の発動に巻き込まれて……気付いたら、この世界こちらに居た」

 若い男は頷いて、子細を語る。

「ローラシアの賢者が裏切ったんだ。ローラシアがロードドラゴンの討伐に戦力を集中している間隙を縫って、ゴンドワナがローラシアに侵攻した。転送魔法陣は討伐ではなく、最初からローラシアの戦力を削ぐのが目的だったのだろう。冒険者おれたちの大半はロードドラゴンごと巻き込まれて異世界こっちに飛ばされた」

 魔道士の女は腑に落ちた様子で頷いた。

「私達も何とか元の世界あっちに戻ろうとしたけれど、この世界こっちは魔素が薄くて魔法陣が発動しない。魔法自体が使えないんだ」

 魔道士の女は自分の掌を見つめ、悔しそうな表情を浮かべた。

「畜生、ゴンドワナめ。そう言う事ならロードドラゴンの出現もゴンドワナが一枚噛んでいるのかも知れないな。三百年に一度出るか出ないかの大物が都合良く出てくるなんて話が旨すぎるぜ」

 悔しそうにテーブルを叩く戦士の男の言葉を聞いていた魔道士の女が、何か気付いて顔を上げ、若い男に尋ねる。

「待って。あんた、さっきロードドラゴンごと飛ばされたと言ったね。ヤツもこの世界こっちに来ているのか。もしそうなら、ヤツの持っている魔力を利用すれば元の世界あっちに戻れるかも知れない」

 話を聞いた戦士の男の目つきが変わる。

「本当か。そうと分かれば話が早いぜ。明日からロードドラゴン探しだ」
「あんた、さっきまでショボクレてたのに、随分やる気だねえ」

 魔道士の女は、そんな戦士の男を見て笑ったが、若い男は冷静だった。

「だがロードドラゴンをどうやって探す。少なくとも街中でそんな噂は聞かなかった。仮に見つけたとして、今の魔道士あんたは魔法が使えないし、俺の剣もボロボロだ。この世界こっちの住人の協力が得られるとも思えない。この世界では冒険者ギルドが必要ない程度には平和そうだからな」

 若い男は店内を一通り見回すと、店長とウェイトレスのほうへ視線を向けた。それに合わせて戦士の男と魔道士の女も同じく視線を向ける。

 男達に視線を向けられたウェイトレスと店長は、二人してカウンターの奥で腕組みしたまま、引きつった顔をして固まった。

「店長、遂にホンモノが来ちゃいましたよ」
「ああ。そろそろ店の模様替えを考えたほうが良さそうだな」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?