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【連載小説】無職の僕が大企業の社長を選ぶ話(第1話)

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 タクシーに乗ってから、かれこれ一時間ぐらい走っているだろうか。
 車は鬱蒼とした森の中の一本道をひたすら進んでいく。周囲に民家など有りそうもない山奥にも関わらず、何故か良く整備された広い道が続いているので車が揺れることも少なかった。
 僕の住んでいる市街からこの町まで、列車を乗り継いで三時間。駅からタクシーに乗ったので、家を出てから四時間ぐらいは経っているはずだ。普段着慣れないスーツを着ているせいか肩や腰が痛くなってくる。大体、スーツを着るなんて何年ぶりだろう。
 不意に、周囲が明るくなり、車は開けた場所に出た。森を抜けたのだ。遠くに木造の建物がいくつか見えるが民家ではないようだ。農機具小屋か何かだろうか。だが周囲は畑という感じではない。強いて言えば庭園だろうか。それにしては規模が大きすぎる。まるで大きな公園の真ん中に敷かれた道を車で突っ切っているような雰囲気だ。
 前方に建物が見えてきた。壁にも装飾を施された、部屋数が幾つもある、まるで迎賓館か西洋の宮殿のような大きな建物だ。敷地の周囲は金銀の装飾の付いた鉄の柵で囲われていて、中央には、これも装飾を施された巨大な鉄の門が見える。門の内側は庭園になっているようで、大きな花壇や芝生が見える。
 車は、開かれている鉄門をくぐると、中央に彫刻が置かれたロータリーを時計回りに半周して、邸のエントランス前に停車した。
 僕は車から降り、トランクから取り出されたキャリーバッグを運転手さんから受け取った。改めて建物を見上げてみる。大学を中退し、今はアルバイトで日銭を稼ぐ生活の僕には一生縁のないだろう、きらびやかな建物だった。目的地は本当にこの場所で合っているのだろうか。
 僕がそんなことを考えていると、エントランスから男性が小走りに駆け寄ってきた。白髪のほうが多い髪をバックにした、少し日焼けした顔の中年男性だ。使い込んだ感じのブレザーの衿にはひまわりをかたどった金のバッジが付いている。
「いやあ、どうもどうも。堤 孝晴さんですね」
「はい、僕が堤です」
「先日連絡を差し上げた、弁護士の小林です。本日は遠いところをわざわざ、ありがとうございます」
「ところで立派なお邸ですね。来る場所を間違えたかと思いましたよ」
「そりゃあ、世界的大企業、刑部(おさかべ)グループ会長のお邸ですからね。建物だけでなく、ここから見渡せるところは全て刑部家の土地ですよ。ここは私邸であると同時に重要な来客を招いたり会議を開いたりする場でもあるのです。文字通り我々とは住む世界が違うのでしょうな」
 そう言って笑う小林さんに、前から疑問だった、僕がここに呼ばれた理由を尋ねた。
「でも一体どう言う事でしょうか。僕の名前が遺言状にあると伺いましたが」
「ここでは何ですので、中に入りましょう。客間を取って貰ってますので」
 僕は小林さんの案内で邸に入って行った。

◇◇◇

「刑部厳之介会長をご存じでしょうか」
 エントランスホールの階段を上り、客間へ向かう長い廊下を歩きながら、小林さんが僕に話し掛けた。
「お名前だけは、ニュースで」
 小林さんは頷くと続ける。
「刑部会長は刑部グループの創業者で、町工場から興した会社を世界的大企業に育てた人物です。報道などでご存じの通り、先日亡くなられたのですが、その遺言状に堤さんのお名前があったので、本日ご足労願ったのです」
「父ならともかく、僕は会長さんとは全く面識がないんですが」
 僕の父は、かつて刑部グループに勤めていたが、それが何か関係しているのだろうか。父は十年以上前に亡くなっているし、今の僕と会長に接点はないはずだ。
 長い廊下の向こうから、男性と女性が歩いてきた。すかさず小林さんが声を掛ける。
「あ、理事長、本日はお疲れ様です。スミさんも」
 男性と女性は小林さんに軽く会釈する。理事長と呼ばれた男性は、いかにも重役と言った雰囲気の大柄な体格でスーツ姿、白髪に口髭、銀縁眼鏡の男性だ。スミさんと言う女性は秘書なのだろうか、まだ二十代前半ぐらいの、白いビジネススーツを着た、色白で、首元で切りそろえられた黒髪が似合う美しい女性だった。
 理事長とスミさんが僕のほうに視線を向けた。僕が会釈すると理事長はすぐに視線を戻した。スミさんは表情を変えることなく事務的に会釈し、理事長に付いて歩いて行った。

◇◇◇

 僕は二階の右奥、「蝶の間」と言う表札が付いた部屋に通された。扉は重厚な木製で、室内はかなり広く、応接セットや執務机が置かれた部屋と、奥の寝室に分かれているようだ。調度品はどれも、僕でもそれと分かるぐらいの高級品が使われていた。
 小林さんに促されて、僕がソファに腰掛けると、先程会った二人の話になった。
「刑部弘済会の原田理事長と白石スミさんです。遺言状には弘済会の名前もあるので、理事長にもお越し頂きました。スミさんはグループ内でも有名な才媛でして、弘済会での重要な仕事を任されることがよくあるようです。まあ、理事長のお気に入りと言ったところです」
「あの、弘済会って言うのは」
「刑部弘済会は、社員の福利厚生の為の組織です。会社が大きくなって地域の発展や福祉にも協力するようになり、現在は会社から独立した組織になっています」
 小林さんは腕時計を見ながら話を続ける。
「この後、午後一時から、関係者を集めて遺言状を開示します。時間になったら迎えに来ますので、それまでこちらで寛いでいてください。昼食がまだでしたら何か運ばせますが」
「いえ、駅前で軽く食べてきたので結構です」
「そうですか。それでは私は少しここを離れますが、宜しいでしょうか」
「わかりました」
 小林さんはソファから立ち上がると、会釈して客間を出て行った。

【本編ここまで。次回に続きます】

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