見出し画像

【連載小説】無職の僕が大企業の社長を選ぶ話(第32話)

【本編無料】
 小説本編は無料でお読み頂けます。
【前回までのあらすじ】
 堤 孝晴は窪川霞と面会し、窪川陶弥が霞の子であり、孝晴がよく知る人物である事を知った。

「……さん」
「孝晴さん!」
 スミさんからの呼びかけで、僕は我に返った。
「一体どうしたんですか。温泉から帰って以来、ずっとこの調子じゃないですか。何かあったんですか」
「いや、そうじゃ無いんです。気にしないでください」
 スミさんに、そう言ってはみたのだが。僕は窪川霞さんに会う事が出来た。そして知ったのだ、スミさんの秘密を。これが冷静でいられるはずが無い。だが、スミさんがこの事を知れば、きっと後継者を辞退すると言い出すに違いない。下手をすれば失踪してしまうかも知れない。だから、この事は絶対に知られてはならないのだ。
「気にしない訳には行きませんよ。だって孝晴さん、机の上の資料と私の顔を交互に見ながらうんうん唸っているんだもの」
 執務机の上には三姉妹の資料が並んでいる。そして隣の席にはスミさんが座っている。僕は悩むあまり、資料とスミさんの顔を無意識に見比べていたらしい。
「すみません。後継者をどうしても選べなくて」
「お気持ちは分かりますが、私の顔をいくら見られても、こればかりは助言出来かねます。孝晴さんに一任されているんですから」
 スミさんは半ばあきれ顔だ。だが、おかげで何とか誤魔化せたようだった。
 その時、スミさんのスマートフォンが震え、画面を見たスミさんは少し険しい目になる。
「もしもし、理事長。お疲れ様です」
 電話の相手は理事長のようだ。
「はい、いらっしゃいます。お待ちください」
 スミさんはこちらを向いた。
「理事長が孝晴さんとお話ししたいそうです」
 僕には特に理事長と話す事は無いんだけどな。スミさんから渋々電話を受け取る。
「もしもし、堤です」
「私だ。忙しいところ済まないね。後継者選定は進んでいるかね」
「正直、まだ決めかねています。候補者は四人とも優れた人たちなので」
「そうか。候補者が内定したら先ず私に知らせてくれないか。事前に社内の調整をしておく必要がある」
「それはできません」
「何故だ」
「候補者の皆さんより先に、部外者に結果を知らせるのはフェアでは無いと思います。それは相手が小林弁護士であっても同じです」
「そうか……分かった。良い知らせを期待しているよ」
 何が良い知らせなんだろう。僕はスミさんに電話を戻した。
「はい、わかりました。それでは失礼します」
 スミさんは電話を切った。
「理事長は何て」
「孝晴さんが後継者を決めたら、すぐに知らせるように。そして、後継者に久保川さんを選ぶよう、可能な限り仕向けるようにと」
 予想通りだ。理事長、焦っているな。
「孝晴さん、悪い顔」
 スミさんが苦笑した。僕は知らず知らず笑みを浮かべていたようだ。
「嘘は言って無いよ」
「確かに嘘は言っていませんね」
 そうだ。僕は嘘を言っていない。四人の候補者から後継者を選定できていないのは事実だ。ただ、四人目の候補者はスミさんが思っている久保川氏ではなくスミさん自身なのだが。僕はスミさんに、前から疑問に思っていた事を訊いた。
「理事長って、そんなに権限のある人なんですか」
「弘済会には理事長を含む十名の理事がいて、会の運営方針を決定しています。理事の三分の一が理事長派、三分の一が反理事長派、残りは中立と言う感じですね」
「それだと会社の経営に干渉できるほどの力は無いんじゃ」
「今はそうです。しかし会社の取締役会も旧会長派と、同族経営に異議を唱える改革派で二分されています。理事長は、刑部家の支配力を弱体化させ、改革派に協力する事で会社への影響力を得ようとしているようです」
 派閥争いか。会長の存命中は抑えられていた改革派が、会長がいなくなって勢いを増したって事なのかな。僕がもし誤った人選をしたら、このパワーバランスが一気に崩れてしまう可能性がある。人選は、ますます慎重にならざるを得ない。

◇◇◇

 結局、何も決まらないまま、時刻は正午になった。
「スミさん、今日も昼食を一緒にお願いできますか」
 スミさんがいつも行くと言う、あの村の食堂は、味・量・価格と三拍子揃っていた。せめてもう一度ぐらいはお世話になりたいものだ。
「もちろんです。今日こそは、お口に合えば良いですけど」
 スミさんはささやかな胸を張った。そして、自信たっぷりにトートバッグの中から包みを取り出した。あれ? これってもしや……
「前回のリベンジですよ。今度のはレトルトじゃありませんから」
 スミさんは僕に包みを差し出した。受け取る僕の手が震える。
「あ……ありがとうございます」
 僕は早速包みを開いた。
「おお」
 思わず感嘆の声を漏らした。お弁当だ。それもかなり手の込んだ。これは凄いぞ。中央で仕切られたご飯とおかず。タルタルソースを添えられたエビフライがドンと二本、目に飛び込んでくる。厚焼き玉子、カボチャの煮物。こっちのカップには肉じゃがだ。野菜はレタスとミニトマト。例のゆでブロッコリーもある。ご飯には佃煮昆布が添えられている。スミさん、頑張ってくれたんだな。僕は嬉しくなって、エビフライを一つ取るとかじりついた。
「むぐっ」
 エビフライは生煮えだった。

【本編ここまで。次回に続きます】

ここから先は

429字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?