谷川俊太郎、岡野大嗣、木下龍也      「今日は誰にも愛されたかった」 感想

1月2日、池袋のジュンク堂。金色に光る一冊の本に私は呼ばれた。タイトルにほんの数秒の冲融たる違和感。一寸の迷いもなくレジへ急ぐ。笑顔を作る暇もない疲労に満ちた店員を横目に、隣のスターバックスへ。本と過ごす時間には、ホットコーヒー。頭上でたなびくジャズピアノが心地よい。これが私にとって最高の読書スタイルである。

この本は、谷川俊太郎をはじめとする”ことば使い”たちによる連詩を収録したものである。「はじめに」という章にある谷川俊太郎氏の文章。

『言葉になった詩(ポエム)と言葉にならない詩(ポエジー)を混同して考えないように注意している。』

ポエジーとは、ポエムの元となる感情や風景や出来事を指す。含意を武器とする詩において、曖昧さはついて離れないものである。詩のいいところは、明示性がないところだ。同じ言葉でも、読者によって、読者の心境や周囲の環境によって、解釈が全く変わってくる。そして、それが必ずしも作者の意図と同一とは限らない。この曖昧さが歯痒いながらも、たまらなく美しい。

じっくりと文字と言葉を貪っていく。一語一語が慎ましやかに輝きを含んでいる。生きている。本の中で踊っている。滑らかに優雅に、時にちぐはぐで不規則な言葉のラリー。言葉を貪っていたつもりがいつの間にか、飲み込まれていた。五感をくすぐるような言葉たちは一体どこからやってくるのだろうか。

人間は長時間集中力が持たない生き物なので、長たらしい文章を書いても良くない。2つ、詩を紹介して終わろう。

「四季が死期に聞こえて音が昔に見えて今日は誰にも愛されたかった」(岡野大嗣)

→これは作品のタイトルの元となる詩。人間は誰しも感情を持っている。嬉しい哀しい、怒る楽しい。我々人間は1日に何回感情と対話しているのだろうか。そんな感情も時々バグを起こす。いつも周りには強がってしまう、けど本当は少しでもいいから優しく大切に扱われたい、誰よりも愛されたい。今日だけでいいから。そういう日があるものだ。心が悲鳴をあげるほど疲れている、だれか私の心を解放してくれ。そんな時が。

「思い出すなつかしいあの日と 反芻をくり返すくやしいその日と 今日のこの日もいつかは日々になってしまう」(谷川俊太郎)

→百人一首の中に「ながらへば またこの頃や忍ばれむ うしとみしよぞ今はこひしき」という歌がある。意味は次の通り。「生き長らえるならば、つらいことの多い最近のことが、懐かしく思い出されるのであろうか。つらいと思った過去が、今では懐かしく思われるように。」この詩を見た瞬間、この歌がふと浮かんできた。どれだけ時が経とうと、時代が変わって環境が変わろうと、人の心だけはいつの時代も変わらない。

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