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器の大きさぶんしか、持って帰れない

初めて海外に行ったのは大学一年生、19歳のとき。海外経験の少ない学生を対象に、書類と面接の審査を通れば5万円で2週間の海外研修に参加させてもらえるというものだった。なかなか倍率の高かった審査に通り、往復の航空券代にもならない金額で、オーストラリアはメルボルンに2週間滞在することができた。


その研修でお世話になった大学の職員さんに、渡航前に言われた一言が最近よく思い出される。

「みなさんの器の大きさぶんしか、持って帰れませんよ。」

その器は、興味の幅を広げたり知識の量を増やしたりすることで、大きくすることができるということだった。例えばオーストラリアという”国”の成り立ちについて何も知らなければ、街で様々な人種を見かけることと移民とが結びつかない。白豪主義について知っているかどうかで、アボリジニの人々に対して投げかける質問の内容が変わり、彼らが話してくれる内容も変わる。そもそも英語のレベルで、現地の人たちとの会話の中から言葉を拾い上げ、持って帰ることができる量が増減する。


そのことを念頭に置いて、事前にできるだけ様々な分野について調べて行ったつもりだった。オーストラリアについて。訪れる施設や人々について。また、日本についても改めて勉強した。そうした努力の甲斐もあってか、初めての海外ではたくさんの気づきと学びを得て帰ることができた。


と思っていた。


そう思っていたが、最近あることに気づいたのだ。大学2年生くらいから本格的にお金を投資するようになったファッションも、フィリピン留学中に眠気覚ましのために飲んでいて飲めるようになったコーヒーも、大学3年生のときに買ったクロスバイクも、今やわたしの大事な趣味だ。その、ファッションとコーヒーと自転車において、2週間滞在したメルボルンは、超がつくほどホットスポットだった。しかし、当時は何にも知らなかった、ということに気づいてしまった。


あの頃のわたしは、趣味の器の幅、広げていなかった………。


ファッションに関して。メルボルンにはイケてるセレクトショップが多くある。最近はファッション誌で、パリ、ロンドン、ニューヨーク、みたいなノリでメルボルンが紹介されていたりする。なのに、2週間もいてセレクトショップは一軒しか寄っていないしそこで買ったのはトートバッグだけ。滞在中に買ったファッションアイテムは鳥と花柄のパジャマとチャップリンのTシャツだけだった。しかも市場で購入。


コーヒーに関して。カフェカルチャー発祥の地と言われていることは知っていた。出勤前の時間帯、人々がカフェで新聞を広げゆったりとコーヒーを飲んでいるのを見て、のんびりしていいなぁと思ったくらい。あとは店員さんイケメンだなぁ、とか。今じゃ休みの日は一人でコーヒーすすってるような奴なのに、どうしてメルボルンのカフェ、満喫しなかったのだろう!!!


自転車に関して。日本のお洒落な自転車屋さんがメルボルンにお店を構えていることをつい最近知った。自転車に関しては、レンタサイクルがその辺にあるなーと思ったくらい。本当に印象がない。なぜだ!!!


やはり人は、その人の器の大きさぶんしか、持って帰れないのだ。興味の範囲内でしか気づけないし、アンテナを張っていなければ情報は入ってこない。趣味の少なかった19歳のわたしは、真面目にくそまじめ、街の人々の日常に根付いた、ファッションとコーヒーと自転車の豊かな文化には、気づけなかったようだ。


最近は逆に、こういった情報がバンバン入ってくるため、あの頃の器の大きさは…と悲しくなったりもする。だからかな、あの頃に戻りたいとは思わない。今の私の器の大きさで、知識の量で、興味の幅で、またメルボルンに行ってみたいと思う。今度メルボルンに行ったときは、サイクリングしながら洋服屋巡りをして、疲れたらコーヒーを飲んで休憩したい。そして、メルボルンの今を感じたい。

そして、また新たな発見をしたいと思う。

#エッセイ #日記 #オーストラリア #メルボルン

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