今さら、テルーの唄を聴いてみた
iPhoneのなかに入っていたので、久しぶりに手嶌葵さんのテルーの唄を聴いてみた。2番の歌詞なんて全く知らなかったけれど、初めて聴くに等しい歌詞でさえ、一言一句きちんとわたしの心に届いた。
わたしは、テルーの唄を聴きながら、年始に見た一般人の歌唱力対決の歌番組のことを思い出していた。そこで、心に届くコンテンツについて思うことがあったので書いてみる。
テルーの唄の手嶌葵さんは、歌詞に込められた意味や映画の内容、監督が伝えたい思いなど、自分なりに自分の中に落とし込んだ上で、声に乗せて私たちに届けてくれているのだろう。だからこそ、何を感じるかは人それぞれだとしても、歌詞が心に届く。楽曲や映画、わたしたち聴き手と、真摯に向き合ってくれている感じがした。
ところで、先ほど思い出したという年始の歌番組には、そんな素晴らしい手嶌葵さんにも負けず劣らず、素晴らしい歌い手の方たちがたくさんいた。
皆さん一般人とのことだったが、その中で圧倒的に歌唱力のある、プロ顔負けどころかプロ以上ではないか、という人がいた。ビヨンセの英詞を、テクニックも多彩に取り入れながらパワフルに歌い上げた。持てる技術はすべて注ぎ込むというプロ魂のようなものを感じたし、上手すぎて衝撃、こんなに歌えると気持ちいいんだろうなぁと思わされた。
そして抱いた感想は、「凄すぎて涙が引っ込んだ。」であった。
結果、その方はプロの審査員のほぼ満点の得点を得て優勝確実かと思われたが、一般審査の点数を足すと一歩及ばず、敗退してしまった。
歌唱力は圧倒的で絶対優勝だろうと思ったのだが、一般審査で得点が得られなかったのはなぜだろう。そこで感じたのは、人の心に響くコンテンツに、すべての人にすごいと思わせるテクニックはそれほど必要ないのかもしれないということだ。
シングルマザーのお母さんに感謝の気持ちを込めて歌った広島在住の女の子。両親の影響で幼い頃から大好きなイエモンを、特別なこの場で歌いたいと歌った高校生。路上ライブで出会ったすべての人達への感謝を歌いたいといった三十路のシンガーソングライター。彼らの曲を聴きながらぼろぼろ涙が止まらなかった。歌唱力でいうと圧倒的だったビヨンセの女の子も、彼らの思いの込められた歌には敵わなかったように思う。三人の歌に心震わされて泣かされた、涙が引っ込んだのはそういうことだ。結果は、宮本亜門さんを大号泣させたシンガーソングライターが優勝した。
感謝を伝えたい人がいる、特定のただ一人だけでいい、伝えたい思いがある。この曲が好きだという思い。これまでの人生を振り返りながら、出会った人たちの顔を思い浮かべたい。
いろんな思いが想像できた。広島在住の女の子は当然、わたしに伝えたいと歌ったわけではなかったけれど、それでも聴き手にとっては心の震えるコンテンツだった。もちろんテクニックやクオリティに関して妥協のできる世界ではないと思うし、「上手い」というのは大事な要素である。しかし、手嶌葵さんが映画と向き合ったように、あの三人が、母や、大好きなバンドや、自分の人生に向き合ったように、曲に込めたい思いにフォーカスしたコンテンツは、人の心を打つのではないだろうか。当たり前のことを、強く再認識させてくれた番組であった。
わたしも、文章を書きたくて始めたnoteであるが、文章力の向上などの努力は怠ることなく、それでいて自分がその文章に込めたい思いについてきちんと向き合って、まじめに、ていねいに、書いていきたいと思いました。当たり前を、真剣に。
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