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陳情パイロット

大学時代に仲の良い三人の友人と頻繁に楽器でセッションしていた。僕はドラムやサックスに混じってカシオパッドというエフェクトをかける機材をいじっていた。そしてやることがなくなると、当時八年間好きだった女の子への思いを音楽に乗せて発散していた。決定的な音痴だから歌うことは諦め、韻を頼りに彼女への鬱憤を羅列した。このシステムが幸いし、彼女への執着は日に日に薄れていった。仲間と騒ぐ楽しさによるものがかなり大きいが、忘れていた記憶や感情を韻によって手繰り寄せていく中で、過去の間違いや辛い経験が今のこの楽しい瞬間を作っているという感覚に救われたからだろうと思う。

僕はそのようにこみ上げる感情すべてを呼び込んで吐き出すといった、記憶のイタコ術を”陳情パイロット”と命名していた。僕はそれに取り憑かれ、他の三人もそれぞれが自身の浄化に没頭しながら録音を繰り返しているうちに300以上の駄曲が溜まり、調子にのってCDも何枚か作って売ったりもしていた。それにも関わらず、当時は羞恥心が完全に麻痺していて、そんな物でも情熱を勘違いする誰かが喜ぶと思っていた。だからこそ荒唐無稽の言葉は自分にとって言霊たり得ていたのだろう。

かつてそのようなことがあり、再び恥ずかしさを忘れて思いつくまま文章を書いてみたくなった。当時と同じく、何かに何かを期待したい心境だからなのだろうか。しかしながら同様に感情を発散できるわけではない。ラップでもなければスピード感も違う。内容も冷静に精査するし、ネットでこうして公開する時には文章の責任を省みる。だがそんな煩わしさよりも、知らない誰かに触れて何かしら変わる自分を待ち遠しくする気持ちがまさっている。


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