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息子が少年野球チームに入ったら人生変わった VOL:3 妻への疑念

コーチとして初めて参加した練習。最初は何をしていいのか分からず、ベンチ付近でウロウロしていた。他のコーチから話しかけられるが、皆そろったように野球経験を問うてきて、私が「ルールすら分かりません」と答えると、興味を失ったように離れていく人もいれば、「私もなんですよ。でも大丈夫です」と勇気付けてくれる人もいた。その1人、小柄なMさんはニコニコしていて、いかにも人がよさそうだった。気を許して少し話をした。

「Mさんも、毎週末きているんですか? 休む暇がありませんね」

「そうなんですよ。土日とも朝から夕方までグランドにいてね。ボクなんか別にノックするわけでもないし、ホントにグランドにいるだけというか、球拾いとかグランド整備ぐらいしかやらないんだけど、立っているだけで結構疲れるんですよ」

「そのおかげで子どもたちが野球をできるのだから感謝するばかりですが… それじゃあ仕事がつらいでしょう」

「そうそう。一週間のうちで最も疲れているのが月曜日の朝。で、平日に仕事をしながら疲れを癒やして、週末にまた野球ですよ。ハハハハ」

Mさんは超有名大学を出て銀行に勤めているそうで、学生時代は勉強中心だったのでスポーツ歴はまったくないという。野球をやっていた人や、上級生チーム…Aチームというそうだが、あの体の大きな監督のようにスポーツに打ち込んでいた人ならスポーツ指導に熱が入るのは分かる(後から聞いたが、Aチーム監督はバレーボールをやっていて、高校時代はインターハイにも出場しているそうだ)。しかし、Mさんのような人まで毎週グラウンドに出ていかないと成り立たないものだろうか。疑問は募るばかりだった。

グランドに出た長男は勝手が分からないようだが、声をかけてくれたクラスメートらに声をかけてもらい、楽しそうに走り回っている。ノックを受ける場面を見ていたら、ゴロを捕ってファーストに投げていたので「へえ、結構うまいじゃないか」と感心していた。ただ、グローブがでかい。自分のものがないので、コーチが貸してくれたのだった。大人用じゃあかわいそうだな。今日の練習が終わったら一緒にスポーツ店へ行こうと思った。

Mさんが「次はバッティング練習だから外野に行って球拾いをしましょう」と声をかけてくれたので、一緒に歩きながら「グローブってどんなものを選んだらいいですか?」と聞いてみた。

「私も詳しくないんですけど、最初はあまり高いものじゃなくていいと思いますよ。革がどうこうよりも、大きさが合っていることが一番。内野用とか外野用、投手用などあるけど、どこでも対応できるオールラウンドのタイプの安いものでいいんじゃないですか」

「えっ、内野と外野で違うんですか?」

さすがにキャッチャーミットやファーストミットは見たことがあったが、内野と外野でグローブが違うなど、ましてや投手用って… 

「内野は素手感覚で小ぶり、外野は網の部分が長いんですよ。まあ、うちの息子も3年生ですけど、オールラウンドの安いやつですよ。5年生ぐらいになって体が大きくなったら、もう1個買ってあげようと思って」

「そうなんですか。何も分からない息子と2人で買いに行って分かるかな?」

「店員に聞いたら親切に教えてくれますよ。昼休みに子どもたちがベンチ前にグローブを並べますから、ちょっと見ておいたらいいんじゃないですか」

そうすることにして、昼休みに子どもが弁当を食べている間、グローブを見て回った。ミズノ、SSK、ゼット…ずいぶんと色々なメーカーがあるんだな。でも、私の好きな…というか唯一よく知っているヤンキースの松井秀喜選手がグローブもバットもミズノを使っていることは知っていた。ああ、あとマリナーズのイチロー選手もミズノだったな。じゃあミズノでいいか。大はずれはないだろう。

午前の練習を終えて私はすっかり疲れ切っており…特に何もしていないのだが…、帰るタイミングをはかっていた。弁当もないので、一旦帰宅して、そのままでいいだろう。長男は楽しそうにやっているから心配なさそうだし、長女と遊んであげないとかわいそうな気もしてきた。

ベンチに座って弁当を広げようとしているコーチ陣に向かって「私は一度帰ります…」と言ったとき、妻が小さなバッグを抱えて走って来るのが見えた。

「はい、お弁当。遅くなってごめんね」

「ありがとう」とほほえむ場面なのだろうが、言葉が出てこなかった。私が帰りたくて仕方がないと、妻ならば痛いほど分かっているはずだ。それなのに、ここで弁当を持ってくるか?

この時初めて思った。もしかすると妻は最初からこうなると予期していたのではないだろうかと。そういえば、おかしいのだ。私がたった2カ月間バレーボール部に所属したことなど、結婚前に付き合っている頃に1度話しただけで、その後2人の話題に出てきたことすらない。テレビを観ていてバレーボール中継が流れたときですら、そんな話にならなかった。それなのに、チーム代表に競技歴のように話し、Aチーム監督まで伝わっていた。いや、ありえない。一旦着替えに帰ったときも、私のジャージがいやにスムーズに出てきた。妻の実家に泊まった時、寝間着代わりに用意しておいてもらったもので、以後は一度も着ていない。捨てたものだと思っていたのに、すぐさま出てきたのだ。

疑念が芽生えてきたが、コーチ陣の目の前で弁当を差し出されては帰る理由を見つけられない。仕方がなくMさんと並んで弁当を食べ、午後の練習にも参加した。人生でもっとも運動をした一日であることは間違いないだろう。(つづく)

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