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劉備を理解できない人は、人生を語れない?

『三国志』を読んだ人のこんな意見がある。

20歳で『三国志』を読んだときは曹操が一番すごいと思った。40歳のときは、司馬懿が一番すごいと思った。60歳のときは、劉備が一番すごいと思った。

20歳で曹操が一番すごいと思うのは理解できる。曹操は天子を脅迫してその名を借りて諸侯に命令し、百万の軍勢を擁しながら天下に覇を唱えていた。

40歳で司馬懿が一番すごいと思うのも理解できる。司馬懿は策謀が得意でよく耐え忍ぶこともでき、最終的に天下は司馬家に帰することになった。

60歳のときは、劉備が一番すごいと思った。

これはよく理解しにくい意見だ。劉備は人望があり、有能な部下を持っていたが、最終的に彼が立てた蜀の国は滅亡してしまった。

人の用い方と人心の掌握の仕方は確かにすごいが、さすがに劉備が曹操と司馬懿と並ぶ「一番すごい」人物という評価にはならないだろう。

他の一流の人物と比べると、劉備の家庭は彼に「天子と同じ姓」と「家の前にある大きな桑の木」しかあたえられなかった。彼の父親は早くから亡くなり、母親と草履を売って生活していた。劉備の家庭には何もなかった。

しかし、劉備は天下を取ることを目標にし、幾多の挫折を経験してもその志を変えなかった。

劉備の半生は戦火の連続であり、50歳近くになっても、他人の居候の身分で、まだ自分の国を持つことができなかった。

劉備は、荊州太守・劉表の下にいたとき、50歳近くになっても何もなしとげられていない自分を嘆いて涙を流した。しかし、彼はその涙を拭き取り、目標をあきらめなかったことをわたしたちは知っている。

劉備はまるで生まれる前から自分が絶対に成功することを知っていたかのようだ。

劉備は一流の努力と忍耐強さで、自分のそれまでの命運を変え、その人生のステップを高め、当時の超一流の人物「皇帝(蜀漢)」にまで上りつめた。
もし劉備が一生懸命努力し続けなければ、わたしたちは史書に彼の名前を見ることはなかっただろう。

劉備は47歳のとき、荊州で当時27歳の諸葛亮を仲間に引き入れることに成功し、その人生に転機が訪れる。現在、30歳や40歳でもう自分は何をやってもうまくいかないと考える人も多いが、今から1800年前、47歳の劉備は依然として諸葛亮に出会ったとき「私の志は昔から変わっていません」と述べていた。

これこそが英雄なのだと思う。

失敗の連続でも彼はそのやる気を失うことはなく、長年の居候生活も彼の気持ちを変えることがなかった。

スティーブ・ジョブズは”Stay hungry, stay foolish”という名言を残している。

劉備はそのもっともよい体現者ではないだろうか?

このような人物は、たとえ地下に落ちても、一歩一歩前進することができ、ゆっくり上がってくる。彼が思いさえすれば、何も不可能なことはない。

【出典】
未读懂刘备的人,不足以谈人生”
https://mp.weixin.qq.com/s/Bnsyz0_w5OP4bHK9DHyOdg
国学文化 2023-04-08 07:09
より引用・翻訳し、一部改変。

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