ZINE・リトルプレスの歴史、、とまではいかないけど流れみたいなのを、まとめ始めてみた。
インターネットで(それこそこの note.mu とかで)いくらでも自分の考えやら、写真、イラスト、音楽etc..なんでも発信できるようになっているけれど、私は紙でできたものが好きだ。紙媒体は、置く場所に困るし、正直これまで何度も突き放したい気持ちになってみるものの、散歩のときに立ち寄るのは書店だし、ついつい気に入ったチラシ、ポストカード、ショップカードが旅のお土産になってしまう。そこには、その土地特有の空気感が漂う。
ポートランドのお土産
ところで、私の前職は大手新刊書店で芸術書を担当し、今はインターネットの業界に身を置いている。大好きだけど窮屈さも否めなかった「本」からは足を洗ったつもりだったけど、今でも本がある場所には目がない。例えば、書店時代に仲間と始めたリトルプレス『ゆがみ』も年々発行スパンが長くなっているが、、今でも続いている。さらには、2015年の夏休みは、ZINEやレコード、カセットテープなどがカルチャーとして息づいているとのことで、米国オレゴン州のポートランドに足を伸ばした。その縁あって、2015年の秋、青山ファーマーズマーケットで行われたポートランドフェスティバルで小規模ながらもZINEと古本の販売を行ってみた。案の定、商売としては散々な結果だったけど、お店でご縁のあるものを販売するという行為が、自分の原点であるように思えた。なぜか気をよくした?私は、その勢いで「コエノエ」という本屋(Webショップ)をスタートさせてみた。まだ(あるいは今後も)スッキリと明文化できるようなコンセプトやビジョンがあるわけではないが、何かこうこれからのお店のあるべき姿だったり、腐れ縁とでも言いたいくらいの「本」を軸とした活動を模索していこうとする姿勢・志向みたいなところだ。なんだかんだ本が並べられたときに放つパワーにいつも魅せられてしまう。
ポートランドフェスティバル2015
前置きが長くなったが、コエノエの活動を意識する度に、リトルプレスとかZINEって一体なんなんだろう?その二つに違いはあるのだろうか?その起源は?という疑問が頭をよぎるので、どっかで一度まとめておきたいと思っていた。まとまらないかもしれないけど、、とりあえずネット上にある情報と関連本を参考にしつつ、まとめてみた。
ZINE?リトルプレス?同人誌?ミニコミ?自費出版??
経緯の前に、zineとは何を指すのか?ということについて引用したいテキストがある。翻訳・編集・ライターをされながらLilmagというWebショップでzineの販売もされている、野中モモさんのものだ。潔く「ひっくるめてZINE」にまとめます!って宣言になっていて、スカっとした気持ちになる。
ZINEは英語で「有志の人々が制作する、たいていの場合は少部数の、非商業的な(利益を出すことが第一の目的ではない)出版物」のこと。「MAGAZINE(マガジン)」から「FANZINE(ファンジン)」という言葉が生まれ、省略されて「ZINE」になりました。
日本では、これに重なる意味を持つものとして、ミニコミ・同人誌・自費出版・小出版物・自主出版物・リトルマガジン・リトルプレス……等々、さまざまな言葉および概念が存在しています。ここではこれらをひとまず全部ひっくるめて「ZINE」と呼び、「個人が自分の意思で好きなように作り、読まれる本」周辺文化に「特に」注目していきたい
本当に、それこそ「本」でいいよもう!みたいなところも同感。
余談だが、実は野中さんの存在はこの記事の執筆中に初めて知った。拝見すると、私がコエノエでやろうとしていること&葛藤に近いものが書かれているような気が勝手にして、「あっ!」と思ってしまった。
大手出版社から出てメジャー流通にのっている本だって、たいていは個人の意思と誠意で作られているもの。そのシステムを利用して大勢に届くのならばそれに越したことはない、という考え方もある。
2005年:リトルプレス誕生@日本 → 第一フェーズ
まずはとっかかりに日本のリトルプレスシーンを見てみたい。ジュンク堂書店のリトルプレス担当をされている小高聡美さんによると、「今、リトルプレスは第3のフェーズを迎えつつある」ということだ。第一フェーズは、リトルプレスが誕生したとされる2005年。第二フェーズは、ジュンク堂書店池袋本店でリトルプレスのフェアをはじめた2009年。そして第三フェーズは、右肩下がりの出版業界で、リトルプレスという小出版が新しい生業として成立しつつある2015年。(灯台もと暮らし「世界を深めるリトルプレス。お探しならば、ジュンク堂書店 池袋本店 へ」より)「誕生したとされる」という部分は、裏付けが欲しいところだが、これはこれで一つの流れとして捉えておきたい。ちなみに、2006年1月に、柳沢小実さんが「リトルプレスの楽しみ」(ピエ・ブックス)を出版しており、Amazonで「リトルプレス」と検索して、引っかかってくる出版物の中では最古参にあたる。本の紹介文では「ミニコミ」というキーワードが多用されていることから、やはり2005年、2006年ごろが、日本のリトルプレスカルチャーの始まりなのかもしれない。「ミニコミ」でなくて、わざわざ「リトルプレス」としたのは、縮小を続ける出版市場の中で、突破口となる何かを期待したから?なのだろうか。
80年代後半から90年代:米国西海岸のスケーターカルチャーが発端。
2007年になると『magabon』という雑誌のポータルサイトに、『「zine」ムーブメントから見る雑誌の未来』というマニアックな記事が掲載された。ブックディレクターとして有名な幅さんへのインタビューは、「zineとは何か」という質問から始まる。
「zine」のスタートはfan-zine、同人誌ですよね。今でもいろんな人が作ってるのですが、その歴史がだんだん進んでいって、80年代後半から90年代に入ると、マーク・ゴンザレスといった西海岸のスケーターたちが、彼らの作りたいもの、写真を撮ったりイラストを描いたり、詩を書いたり、ちょっとした情報を書いたり、そういうものを書いてそのままホッチキスでバチンと止めて、自分たちの手で流通させる、ということを始めたんですね。そこがzineムーブメントの一つの発端だと思います。
個人的には、zineの起源は音楽系のアーティストなのでは?と思っていたのだが、幅さんはスケーター、しかもマーク・ゴンザレス一人にフォーカスして、「絵も描くわ歌も歌うは詩も書くわ、という多芸で天才的な人がいたということが大きいんじゃないか」と仮説している。
1990年:キンコーズが米国全土に進出し、FANZINEが普及。パンクバンドによるZINEの読者が急増。
2011年になると、4月に土澤あゆみさんの『フロム・リトルプレス』(三空出版)が出版された。同年、6月11日(土)から9月25日(日)には、金沢21世紀美術館 デザインギャラリーで、「art-ZINE:冊子型アート・コミュニケーション」(キュレーターは、高橋律子さん)が開催された。このプレスリリースに、90年以降20年間の「art-zineの流れ」がシンプルにまとまっている。ここでは、zineの興隆を支えた背景に、ビジネスコンビニ「キンコーズ」の躍進というインフラの整備を取り上げている。さらに遡れば、米国ゼロックスが電子写真技術(ゼログラフィー)の実用化に成功し、1959年には事務用の小型複写機である「Xerox 914」の開発しヒットを飛ばしたことから、徐々にPrint On Demandが普及した。1984年には、アップル社がマッキントッシュを開発。85年にはページメーカーの社長ポール・プレナードがDesk Top Publishingの概念を発表した。
私が初めてzineのようなものをつくった2009年頃は、インデザインとキヤノンの家庭用インクジェットプリンターだったが、マーク・ゴンザレスはキンコーズに作品を持ち込んで刷ったのだろうか。。
以上のように、アーティストがいて、技術インフラがそろって、90年代初頭から始まったのがZINEなのでは?ということだ。
※2015年に訪れたreading frenzy (PORTLAND, OR)は、1994年からお店を続けている。。
2001年:スイスのチューリッヒでNievesが創立
続いて幅さんが紹介されているのが、私も現地を訪れたことのあるNieves(ニーブス)だ。1分半ほどの動画で、ラリー・クラークなどのzineをパラパラやりながら、ニーブスの特徴について語っている。
また、札幌を拠点とする有限会社シフトプロダクション運営の『SHIFT』の記事(2006年9月28日)によると、
2001年創立のニーブス・ブックスはアートブックやジン専門の個人出版社だった。創立者で経営者でもあるベンジャミン・ソマホルダーはアートディレクターでもある29歳のスイス人
ということだが、Fujisan.co.jp の解説からは、Benjamin Sommerhalderともう一人、Lex Truebの存在が浮かび上がってくる。幅さんが、「もう一人と」とおっしゃったのは、このレックスのことなのだろう。
※Lex Truebは、現在BOOKHORSEという、これまた個人出版社を運営しているようだ。
ベンジャミンがzineをつくるきっかけになったのは、彼が『zoo』という雑誌で働いているときに、クリス・ヨハンソンと出会ったことだという。
※雑誌「zoo」で調べると、いくつかのzooが出てくるために、どのzooなのかはっきりしない。ややこしいことに、Nieves自身でも『zoo magazine』という雑誌を発行している。。
そういったアーティストのグラフィックなどを「zine」にするのは、やはりコストを抑えて初期衝動のまま一気につくって、発行できてしまうところのようである。(憶測だが、zineの性格上、勢いでつくってみたら「あ、これジンっていうのね」くらいだったかもしれない)
ベンジャミンも費用とクオリティーを気にせず何人でも好きなアーティストを紹介できるところに魅力を感じているそうだ。
はじめ、ベンジャミンはジン制作にあたって特にコンセプトはなく、ただ純粋にグラフィックを載せたかっただけだった。それが年を重ね、ニーブス・ブックスが軌道に乗り始めるにつれて、もっとアートを中心とした内容と厚みがある印刷物に時間をかけてみたいと思い始めた。以前は毎月3冊ジンを出版し、余った時間を本の制作に費やしていたが、最近はジンの出版数を減らし、マイク・ミルズの「Humans」のような薄型アートブックに専念している。
2006年:Nievesと日本人アーティストの交流
Nievesは、日本との関係も深く、2006年が一つの契機になっていたようだ。というのも、Nievesが林央子(はやしなかこ)編集の『Here and There』(vol.6にあたる)の版元になったり、その紹介からホンマタカシの『Tokyo and my Daughter』を出版している。また、同年10月19日から28日にかけて、写真家の平野太呂氏が主催するNO.12 GALLERYで「NO.12 GALLERY and NIEVES BOOKS PRESENTS "ZINE LIBRARY"」が開催された。その模様が雑誌『アイデア』320号、2007年1月(誠文堂新光社)に記事となり、この号には「平野の写真、ベンジャミン編集のジン『GOING OVER』が折り込まれています。」とのことだ。
ZurichのNieves(2012年1月撮影)
2006年というのは、2005年のジュンク堂的リトルプレス第一フェーズともかなり近接してくる。ただ、どうもやっぱり『日々』や『てくり』などを筆頭に、日本の手作り女子風「リトルプレス」と、アーティスト系の「zine」っていうのは違うような気がしてならないが、、そういうこともひっくるめて一旦はzineとしておき、このことの考察はいつか。。にしよう。
ということで、抜けているところもあり、かなり偏ったまとめ方になってしまったが、いったんざっとZINEの歴史みたいなものをまとめてみた。パンクシーンなどは、赤田祐一さん、ばるぼらさんの『20世紀エディトリアル・オデッセイ: 時代を創った雑誌たち』p027に詳しい(星野陽介)
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