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昭和スポット

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記事一覧

外ノ浦検潮場跡(旧陸地測量部 )忘備録

験潮場(けんちょうじょう)とは潮位を測る場所である。建物の中に、海面の昇降を連続的に記録する験潮儀等を格納している。 設置機関により呼称・名称が以下のように異なっている。 験潮場:国土地理院が設置しているもの 験潮所:海上保安庁が設置しているもの 検潮所:気象庁が設置しているもの   (Wikipediaより) ※参謀本部陸地測量部(明治24年)より験潮場を設置し、本格的に観測を開始したとの事なので以後「験潮場」と記載(呼ぶ)ことにします。 陸地測量部(りくちそ

世界一の東京タワー~昭和33年パンフレット編~

■「東京タワー」とは 日本電波塔の事で、通名:東京タワーと呼ばれています。1958年(昭和33年)12月23日竣工。高さは高さは333メートル、東京のシンボル、観光名所である。 1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ、当時、産業経済新聞社、大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務め、後に関西テレビ放送の社長にも就く前田久吉が日本電波塔株式会社を設立。(Wikipediaより) 現在、東京タワーの経営は日本電波塔株式会社 株式会社TOKYO TOWERが運営しています。 ■世

昭和の大建築!京都駅前のシンボルタワー・・・昭和45年の展望券を得たの巻!!!

■京都タワーとは?! 2021年撮影 建築主:京都タワー株式会社 施工  :大林組 階数  :285段 高さ  :131 m 着工  :1963年(昭和38年) 竣工  :1964年(昭和39年) 構成(内部フロア)2022.5月現在 展望室4〜5階 - 京都タワー展望室 展望室3階 - スカイラウンジ「空」(KUU) 10階屋上 - ビアガーデン&BBQ 5〜9階 - 京都タワーホテル 3階 - レストラン「タワーテラス」、関西インフォメーションツーリストセンター 北

ミナミ ストリート マガジン  wow wow -1978年の主にアメリカ村-

アメリカ村とは?!大阪府大阪市中央区西心斎橋にある三角公園を中心に広がるエリアの事。 略して“アメ村”と呼ばれる事が近年は多い。 この地域は現在は若者向けショップが多く集まっている。 アメ村の歴史 紛れもなく1978年の“アメ村”のマップですが、表記は“炭屋町” アメリカ村という呼び名が定着していなかったのか?!・・・・ 1960年代の“炭屋町”は商業的なエリアではなかったようです。 そのエリアですが1969年にこのエリアを激変する出来事が起こります。 日限萬里子(※)

-戦前の高松定番の観光-屋島登山鉄道(屋島ケーブル)と...

■高松観光戦前昭和資料でみる(定番コースとは) 正確な時期まではわかりませんが、 持っている資料は1934年(昭和9年)のものになります。 この頃の観光コースの定番が屋島と栗林公園“りつりんこうえん”をセットで巡るというものだったようです。 ■屋島登山鉄道(チラシ) 裏面には最初の持ち主で観光したであろう方の文字で<三月二十六日>と書かれています。 路線図とわかりやすい案内図の下には ・屋島登山鉄道株式会社 ・四国水力電気株式会社 ・高松・光栄社 印行 と記載があるのが

戦前の“電話担保金融”(チラシ)から見る-東京市日本橋...-

■濱電話店(電話担保融資) 電話担保金融とは、電話加入権を担保に融資する(される)こと。 マルフクが業界最大手企業(1958年創業/丸福電話店)だったようですがデジタル電話(ケータイ等)が流行り出し、電話加入権の価値が下がり現在となっては看板ですら見掛けたらラッキーな程、絶滅危惧種である。たぶんね、 住所表記が“東京市”と記載されているのに驚きました。 ■で、チラシはいつの時代のもの?! 戦前かつ1939年・昭和13年までの代物ではないかと思います。 個人的感情含めると

姫路の夜は“魚町界隈”につきる-70年代を知る-

■姫路といえば兵庫県内第二位の商工業と人口を擁する都市であり、播磨地方の中心都市。世界遺産の姫路城・書写山圓教寺・三大荒神興の一つ灘のけんか祭りなどの播州の秋祭りが有名。とWikipedia先生でも紹介があります。 写真を貼りだしたら雑多に行きますので、この辺で終わりにします。 ■魚町(塩町)花街から飲み屋街の誕生魚町というと料亭、芸者さんというイメージが抜けないイメージだったようです。 戦前の華やかな頃には芸者さんは200名以上も在籍してたようですが戦後すぐ120名程に

『旧劇場・映画館』

【 この映画館について 】 正しい屋号には“〇〇映劇”と言います。 開館(開業) 昭和中期※(1)  閉館(閉業) 昭和後期 ※(1) 資料では昭和38年時には営業中との事が判ってますが 昭和34年公開の映画ポスターもありましたので、その辺りが濃厚(?)かなと思います。 [ 映画館全体 ] 看板建築部には屋号が描かれていた模様ですが・・・ 行く時期が悪かったようで、蔦に覆われておりかろうじて映画館風(?)のシルエットとわかる程度です。 [ 受付・(券)販売窓口 ]

昭和の映画館-映画黄金時代-

【この映画館について】 開館(開業)  1951年(昭和26年) 閉館(閉業)  不明※(どうみても昭和でしょうと疑ってます) 1955年(昭和30年)の資料によると開館当初の情報は 映写機 ミクニ四号(ローラー) 【大・宝・新・映】と書かれていたが 大=大映 宝=東宝 新=新東宝 映=国際映画(?これだけ不明確) 2021年(令和3年)時から見える世界 【映画製作会社のポスター】 大映 東映 パラマウント 東和 ユニヴァーサル 大映第一フィルム 【映画作品のポス

たばこ自動販売機-久保田鉄工時代-

“久保田鉄工株式会社”製の自動販売機 現:株式会社クボタ 国内トップの農機メーカーの「クボタ」の前身の久保田鉄工株式会社”時代の1967年(昭和42年)に製造を開始した【たばこ自動販売機】となります。 1972年(昭和47年)放送のプレイガール(ドラマ)のワンシーンにも映っていたようです。 原形はオーシャンをイメージするような、青色(ブルー)の機器あったんですね! https://twitter.com/kncmc2019 いちぢくさんより頂きました。 元ネタ 軽

昭和レジャーの聖地-索道(駅舎)跡と遊園地跡-

【索道編】 昭和3年(1928年)に京都電燈が「〇〇山空中ケーブル」として開業。太平洋戦争の最中の昭和17年(1942年)に(京福に事業継承)一旦廃止というがその後も使用されていないので休線以上廃線未満の状態が続く。現在(も営業が続く索道ルート)とは異なる位置にあった索道(ロープウェー)駅舎と支柱を紹介しようと思います。 現在のルートでの営業が再開されたのは※昭和31年(1956年)第二次世界大戦(太平洋戦争)後の事でした。 (余談と脱線) 昭和31年というのは国内では 売

渓谷に位置する-料理旅館跡-

【〇河亭】 近くに川が流れており、その川の名は此方の地名にもなってます。 縁も所縁もなさそうに思えた“〇河”でしたが意味や願いなどの想いがこめられていたのでは・・・ こちらの木造の美しい建屋を見たら拘りを感じ、そう思えました。 旅館は木造2階建て 客間(?)宴会場(?)含めても5室程度の広さ ●1階 玄関(兼フロント)、ロビーフロア(和洋間風)、和室、浴場、トイレ、調理場 ●2階 和室(宴会場?か客間)、洗面所、トイレ 営業自体の確認は出来ませんが、残留物(公的機関発行)

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閉館したボウリング場

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宇和海展望タワー