私は本当に小説を楽しめていたのか?

読んでも、魅力が語れない。

あなたの趣味は?と訊かれて、私は「本を読むことです。」と少し自信なさげに言ってしまう。「好きな本は?」の問いに対して、その本の魅力や内容についてすらすらと思い浮かばないからだ。好きで楽しんでるものなのだから、人に伝えられなくても、いいじゃないか!しかし、小説を楽しめているのか?と不安な気持ちに苛まれる。どうして、本が好きなのに、思い出せず、魅力が語れないのだろうか?

情報の再構築

魅力的に語ったりするには「再構築」をおこなわなくてはならない。本は読んだ後、誰かに語る時には読んだ本自体とは厳密には同じではない。伝言ゲームの伝達がうまくいかないのは情報伝達の際、個々人を通して情報が、「再構築」され、形を変えているからである。

ショウペンハウエルの著作「読書について(岩波書店)」に「読書とは、他人の思考を借りているにすぎない。」という考えがある。読んでいるだけでは自分の物では無く。誰かに話すというプロセスを通して初めて、他人の思考を自分の思考の血肉とするには再構築(イメージ化)ができる。

なぜ、本が好きなのか?

私が本を読む最大の目的は、文章から、想像し、情景を想像する事にある。その先に見えてくるのは、現実の考え方、視点の多様性に、感動しつつ、再構築し、自分という存在を再認識し、さらなる文を求める探究心にあると考えている。

なので、私は読書が好きで、色んな本について話してみたいと思っているし、再構築して発信したいと思っています。








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