フィンランド旅行2019-2020

1.教育について

保育園から大学まで無償。お金は税金から出ているため社会全体で支える形になっている。

日本でも保育無償化が実行されたが、大学まで無償となると人生が全く変わってくる。仕事の選択肢が増え、大学では自分が将来進みたい職業につながる内容か、つぶしのきくエンジニア系・マーケティング系を学ぶことで社会に出て何ができるかに直結させることができる。

私のように大学でなんちゃって歴史専攻で頭には何も残っておらず社会に出ても全く活用することがない状態ではない。かといって学びが軽んじられているわけではなく大人になっても大学で勉強する生き方もある。仕事に役立てるために休職して大学に通って学んだり、そもそも自分の興味関心のために一旦仕事をやめて学んだりというやり方もある。

「就職予備校」として就活のことを教えたりサポートしたりするのではなく手に職をつけるための学びになっている。

学びの内容としても、その後の人生を生きていくための力をつけられるように考えられている。保育園のときから「あなたは何を目的に保育園に通いますか、時間を過ごしますか」ということを文字起こしさせられるらしい。実際には「保育園で何をがんばりたいですか?」といったことを親が聞いて子どもが答えた内容を書き起こすのだと思われるが、「がんばりたいこと」を自分の言葉で考えて話をしてというのは私は30歳になっても苦手にしている。答えた内容に対して時間をおいてフォローされるのかは不明だが、何かしら振り返りを書くのだとすると自分の言葉に責任感も持てるようになるはずだ。

小さい時から「何を目的とするか、何をしたいか、どうしてそうしたいか」を考えるレッスンがあることは、考え方や人生の歩み方に大きく影響するだろう。より深く自分で考えて、自分が一番良いと思った解を出せることにつながるのだと思う。

今の会社でも自分が達成したいことを文字起こしして上司へ報告・面談しているが、何となく形だけ・仕事の本質じゃないものだけど息抜き程度にやりましょうという感覚がある。本当は一番大事なことではないか。自分が何を得意としていて今後何をしようと思っているか。そのために何のスキルをつけるか。その先の仕事においてこれ以上に大事なことはない。それが軽んじられているのは、今の会社では個人個人ではなく単なるコマにすぎず、適正の有無を考えず「今時点の職位はなにか」「年次はいくつか」くらいのことしか見ずに人事を決めており結局長年同じ職場にいる担当者が残業して仕事をこなしているから回っているのだと思う。または結局は別の組織の人が長年変わらず仕事をしていて、何も知らず何もできない人がある組織にいようがいまいが、商売においては何も影響はないのだろう。

転職活動を通じてキャリアの棚卸をしたこと、自分が何にやりがいを感じていて今後何を仕事にしていきたいかを考えたことは良い機会だった。自分の軸と将来像をめがけて、そこに辿り着けるようスキルをつけ自分を磨いていけるようにしたい。事業内容以外の成長は職場環境に頼るのではなく、学びの機会に参加してインプット・アウトプットを常に実行することが肝心だろう。幸いにしてGmailでもおすすめセミナー案内が来るので、毎回チェックして気になったセミナー参加を続けたい。それに加えて英語と経理知識。経理知識はどうやって身に着けていくのがいいのだろう。別のnoteでまとめられるよう考えることにする。

教育ついででもう一つ、使用できる言語がフィンランド語・スウェーデン語・英語と少なくとも3か国語ある。これは教育だけでなくお国柄・環境もあるようだが、スウェーデン人も多く暮らしていることと、テレビ番組が少なく尚且つ英米の番組にしてもフィンランド語にいちいち翻訳されていないため、英語で聞く習慣があるのだそう。


2.働き方

1)テレワークの普及。職場でやる必要のない仕事は好きな場所でやる。セキュリティの問題をどうしているのだろう。ハードとして落とす・無くすなどの問題は。そうはいっても、日本でも出張中に出先でPCを見ることはあるしハード自体を落としてもパスワードなどでロックは可能だし、寧ろそういったセキュリティ対策はしっかりとしたサービスがありそう。それこそテレワーク導入のためにOAセキュリティ対策の専門家に一度話を聞くなりコンサルタントしてもらうなりすれば「よくわからない脅威」は無くせるのではないだろうか。

2)長時間労働しない。使い古された表現ではあるが就業時間内に仕事を終わらせられないほうが能力が低いとされ、管理者も長時間労働をさせる労働者を生んでいるとして管理責任能力を問われる。日本ではなんとなく長時間労働が美徳とされていて、「遅くまでよくばんばる」「一人でなんでもこなしてしまう」「全てやってあげてこそサービス」のように自ら負担を背負うことがかっこいいことのよう。

もちろんそれだけ背負って尚且つ時間内に終われば良いのだがそこまでのスーパーマンには中々なれないし、寧ろスーパーマンがいることのほうが奇蹟であってみんながそれになろうとするものではない。それぞれの職場における個人が自分の役割を何と考えていて、できることとできないことを区別してわかっておくこと、この先自分がどうしたいかを考えていることを自分で明確に定義できておく必要がある。

「この組織にいて周りから降ってくる色んな経験を積めました」というのでは主体性がないし嫌々取り組むことにしかならない。突発的に仕事が舞い込むことは仕方がないしその時に役割分担しながら取り組めばよいが、予め定めた自分の職務上の役割と将来のために何をしたいかを常に軸としてぶれることなく最優先課題として取り組むことが肝心。組織・環境に文句を言っても仕方がないので、自分だけでも、最優先課題を忘れずに取り組みその結果として対価(給料)をもらうことを忘れてはならない。


3.個人の尊重について(ジェンダー、子育て、大人感)

他人に干渉しないことが根底にある。人が何を好きで何を最優先にして生きていてもそれはその人の問題であるから口出ししないという感覚。自由であるとともに「誰かが何かを決めてくれる」ことが無い分、よく考えて判断しなくてはならない厳しさもある。個人というものが尊重されることでその人の属性(性別・国籍・子どもの有無・配偶者の有無・・・)に囚われずに仕事をしたり生活したりするチャンスがある。それは理想論ではなく、誰でもチャンスがあるかわりに個人で考えて、生活が成り立つようにしなくてはならないということ。最も意外だった、フィンランドで自殺率が高いということは、冬になると暗い時間が増えるのとあわせて個人尊重主義の負の側面でもあるように感じた。

ジェンダー、子育てと関連すると、個人が尊重され"すぎて"?離婚率が高くそれでも子どもの親権をどちらかにやるということもなく両方親なので、再婚する理由も強くならない。個人の選択の幅という意味では子どもをつくること自体も選択肢の一つとなり出生率も下がっている。これは子どもを育てやすい環境云々ではなくて、そもそも子育てに時間を取られたくないと考える人が、その考え方も容認されて増えているということもあるのではと思う。泣いたり、騒いだり、病気にかかりやすかったりする子どもを持つことはいくら福祉環境が整備されていても子どもを持った親の責任であり、ある程度の時間は取られる。自分でやりたいことがあってそれを優先したい人は子どもを持たない選択肢を取る方向に流れるだろう。


決まりきった法則から脱して個人が尊重される世界というのは、今後どの国においても時間のズレはあれど広まっていくように感じる。そうなると人口が減る、となるが、それももしかすると大きな人類の歩みの流れの一つで、これからどんどん縮小期・衰退期になっていくのかもしれない。小さな世界・小さな経済・小さな開発となっていき、いつの将来かはわからないが人類もいなくなるのかもしれない。世界の経済を今のレベルで保ちながらより長く生きていられるようにSDGsが叫ばれているが、各国が今の経済レベルを保とうとすれば持続可能世界など実現しようもないと感じる。自分と家族が生きていくために何のスキルが必要か個人が考えて大きな社会に頼らずとも生きていけるようになることが各自のSDGsになるのだと思う。


4.まとめ

何も考えずのほほんと流されて生きるなら日本ほど良い国はないと感じた。環境に文句を言いつつでも誰かが何とかしてくれる社会で、じり貧になりながらも伝統(長時間労働含め)を重んじることだけを考えていれば、それなりにお金も稼げる。それが悪いことでもない。「何だか嫌だな」と思いながら生きていくのでよいかどうか、ということだろう。

それじゃあ私が今すぐフィンランドで働いて暮らせるかというと難しいだろう。英語もできないし仕事で活かせる経歴もスキルもない。人脈もない。最終的にフィンランドで生活して死にたいと思うのなら、そのために必要なスキルは何かを定義して仕事や学習によって身に着けていき目標を達成するしかないだろう。それかもしくは、日本にいても大きな経済からある程度独立した生き方があるかどうか。個人尊重的な生き方を日本でも再現できるかどうか。年末年始の休み中に将来の生活モデルイメージを持てるよう、頭の中を棚卸して考えてみることにする。



以上

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