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友がいれば、自殺はなかったか

故円谷幸吉氏の遺書を下記に記すが、その前に円谷幸吉とはどういう人か?
知らない方へ、簡単に説明する。


円谷幸吉 自衛隊所属 マラソンランナー
1964年の東京オリンピックで銅メダル。次は金と国民と約束するも、ヘルニアが悪化し次第に成績が落ち、国民の期待に添えず1968年1月9日に、自衛隊体育学校宿舎の自室にて自殺

遺書

父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました
干し柿、もちも美味しゅうございました
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました

勝美兄姉上様、ぶどう酒、リンゴ美味しゅうございました

巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました

喜久造兄姉上様、ぶどう液、養命酒美味しゅうございました

又いつも洗濯ありがとうございました

幸造兄姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました

モンゴいか美味しゅうございました

正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした

幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん 幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君

立派な人になって下さい

父上様母上様、
幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません 

何卒お許し下さい
気が安まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません

幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました

以上が遺書である。

私は若い頃、某殺人宗教団体を敵に回してしまい、殺される危険があり、その時期は半年以上続いた。

私は「いつか死ぬなら正義で死んだ方がいい」と開き直った。

その結果、かすり傷どころか、イタズラ電話一本鳴らず、この教団のトップ以下数十人程は逮捕され、数年前、死刑が執行された。

実はこの頃。つまり平成7年。
上記の円谷幸吉のドキュメントを、偶々テレビで見て途中から咄嗟に録画した。

因みに時代はVHSビデオの頃である。

私は、昔から若くして死んだヒーローに憧れる傾向があった。

松田優作にブルースリー。
しかし彼らは、自殺ではなく病気で死んだ。

円谷幸吉は自殺である。

平成7年時、私は毎夜、この円谷幸吉ドキュメントを見て寝るのが日課だった。

「殺されたらドキュメントになるかな?」。

本当に思ったわけではないが、そうポジティブに変え、毎日仕事に勤しんだ。

平成7年が過ぎた後も、何度か死に損なう目に遭うが、ラッキーな事に私は生き延びた。

そんな経験からか、生き死にには敏感な所がある。

彼の遺書中、多くの親戚や従兄弟の名を書き
「立派な人になって下さい」とある。

あなたの立派な背中を見せてあげるべきではないですか?
と思う。

「父上様母上様 もうすっかり疲れ切って走れません」とある。

あなたはヘルニアを患い、立派に走り遂げた。
恥ずべく事がありますか?

勿論、彼を責めているのではない。

戦後の日本、当時の自衛隊所属であるという事は、日の丸を背負うと言う期待があった事も分かる。

しかし死ぬべきではなかった。

せめてこの時、彼にもっと提言する大人がいれば。
そう思うと、つくづく切なくなる。

そして、彼には師と思う人はいなかったのだろうか?と思う。

二十代の若さなら、恥を忍び、打ち明けれる友もいたと思う。

最近私は、ジムの5、6人の弟子や会員と向き合う出来事が、偶然にも立て続けに起きた。

それぞれ事情は違うが、私は怒る事も逃げる事もせず、正面から彼らの話を聞いた。

どうしても答えの出ない子には、こうしろ、とアドバイスをした。

「あの頃の時代背景や、自衛隊所属という立場。色んな事を引きずっていた。私はもう十分やったじゃないか。進退申し上げたらどうか、と言った」。

そう教えたというコーチが、円谷ドキュメントに映っていた。
当時はこの人が一番まともだな、と思った事を覚えている。

しかし今は違う。

コーチは師でもある。
もっと、向き合えなかったのか?

人は、特に若い人程、親より先に死ぬ事があってはならぬ。

更に遺書は続く。

「何卒お許し下さい」
オリンピックの円谷の悩みを、息子とし、心から説明してくれたら、そんな他人行儀な事を言わなくていいと、ご両親は仰ってくれるのではないのですか?

「気が安まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」

円谷幸吉の親という、気が休まる事のない程、大変だった両親を唯一、休ます事のできた人は、あなたではないのですか?

側で暮らしたかったのは、苦しんで産んだ母上と、ご苦労した父上様ではないのですか?

こう書いていると、悔しくてならぬ。

日本は戦後も今も、政治家がだらしないから自衛隊が苦しみ、教育は行き届かず、こうした若い犠牲者を出す。

人は生きてるのではなく、生かされている。

だから自分で死んでいい、と言う事には絶対にならない。



師と師友を持つ大切さを、彼に教える人が居なかった事は、罪であると思う。





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