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反面教師を思い、未来を考えたら

写真にあるのは私の教え子で、YANAGIHARAジム初のランキングボクサー、松尾である。

YANAGIHARAジム初と言うと、他に沢山いる様だが、女子のランキングボクサーが2人出ただけで、実質彼1人。

いつも背中を見せてきた。
もう20年弱となる。

彼を教えてきた時の私は、短気で頑固でろくなものではなかった。

大した事を教えれなかった気がするが、まだ若いのでこれからもこいつには色々教えたい事がある。

他ジムの元日本チャンピオンや、元日本ランカーで松尾より先輩に当たる元ボクサーが、よく家に遊びに来ると、決まってこう言う。

「松尾は元気にしてますか?YANAGIHARAジムで選手を教えてますか?」。
だいたい、こう聞かれる。

面倒なのでここで言う。

全然教えにはこない(笑)。
但し試合と、大掃除には必ずくると言う律儀な男である。


「ジムには来んけど、ジムで困った事があったら松尾だけに話すと、心配して、家まで怒って飛んで来るよ」。

そう言うと「それって一番大切な事ですよね。いい関係ですね」。
と多くの子が言う。
これはボクシング屋にしか分からない。

しかし松尾に取り、私は師なのか反面教師なのかと言えば、両方だと思う。

そんな事を考え、もう時効で私に取って今は、笑える反面教師の話を披露する。

21歳で初めて仕事、と言う物を始めた私が入社したのは、準大手の消費者金融だった。

東証1部上場まであと数年、と言う会社で、北海道から鹿児島まで支店があり、私が辞職後に沖縄にも出店した。

支店は5〜60店舗。
お金を貸して、逃げた長期延滞の債務者は『長期延滞』という棚に、顧客ファイルが集約される。

長期延滞者は半年に一度、各店舗が役所から債権保全の為、という理由で借用書のコピーを添付し、債務者の住民票の動きを見る為に取得する。

数十人に1人は必ず、住民票が動いているので現住所が分かる。

ある日、私より3つ年上の山本という、当時の勤務先の上長である天神支店の支店長から「柳原。犀川町て分かるか?」と聞かれた。

当時知らなかったので、知らないと言うと「地図を見たら北九州の上じゃあ」と広島弁で言う。

広島出身の山本は、自分が働いていた広島支店の支店長から「広島から犀川に住民票が動いた男がいるが、天神から遠いのか?」
そう聞かれたそうだ。

自分の支店の成績と、保身しか考えないのが山本の特徴だが、広島支店長は山本の元上長で、専務派。

ゴマをするコンテストがあれば、日本で必ず3本の指に入る山本は「近いって言うてしもうた。どうせ福岡、犀川まで行ってくれ」と言う。

当時私が貸与されていた車は、ミラ・クオーレという軽自動車。
懐かしい4速ミッション。

当時、ナビどころか携帯電話もなく、ゼンリンの地図を渡され、1人シクシク泣いて、私は天神を出発した。

当然の事ながら、高速道路は使ってはならず、北九州の上と言われても聞いたこともない異国である。

よく見ると、福岡県京都郡犀川町なので、北九州じゃない。

目的地に近づくにつれ、道が細くなり当時は何丁目何番、と言う表示ではなく、469-2番地とか言う表記で、これが困るのだ。

492-1番地の真横が492-2番地とは限らんのである。
結局、住民票の地に辿り着いたのは、天神を出て5時間後だった。

さて、この怒りは債務者にぶつけるしかない。

広島支店の成績は天神支店の成績にはならぬが、ここにきた目的が山本の点数稼ぎという邪さが分かるので、イライラはピークであった。

「山田さーん、山田太郎さーん!広島からここに居るの分かってますよー」。

何度か呼ぶと、背後から「なんやー!」と怒鳴られた。

「山田太郎はワシの息子で、ワシは山田一郎、父親じゃ!」
振り返ると、債務者のお父さんだった。

5時間かけてここまできて、そんな事を言われても困る。

「住民票がここなので、来るのは当たり前じゃないですか」。

そう言うと、「ニイチャン。イイドキョウシトルノオ。アガレ」。
そう言うので、私は遠慮なく上がった。

「そこで待っとけ!」と言うのでコタツに入ると「テーブルの上にあるもん食えや」と言う。

親切な方だと思い、遠慮なく蜜柑を頂いた。
ちなみに2つしか食べていない。

親父が着替えを持ち、私が座るこたつの部屋に来て、何故か裸になり、服を着替え出した。

全身に刺青が入っている。
着替え終わり、私の問い面に座った親父は「で。何の用か!」

「あのー。人の話聞いてます?」呆れて言った。

「うちの広島支店でお金を借りた息子さんが、ここに住民票を移してるから、5時間かけて集金に来ました。さっき言った通りで、疑うのはやめてください」。

親父は少し驚き「お前怖くないんか?」と言う。

「あ、もしかして刺青ですか?はっはっはっ。ガキ頃から近所の銭湯で見慣れてます。殆どのおじちゃんが入れてましたよ。懐かしいなあと思って。で、正直息子さんはどこですか?」。

親父は漢だった。

「兄ちゃん、気に入った。息子の借金払う必要はないが兄ちゃん、面白い!手ぶらじゃアレやろうから一万持っていきない!」。

そう言って一万円を用意して、渡してくれた。

「息子は本当にここにはおらん。この1万は兄ちゃんの手間賃で、好きに使え」。

纏めるとそういう事だった。
言葉に嘘はない様に感じた。

私は社の領収書に、10,000円と記載し「ここに確かに支払いましたと、おじさんの字でフルネーム書いてください」。

と言うのが、店舗の成績が悪く、本社から飛ばされる事を恐れ、支店長が自分で千円を出し、債務者の名を自分で記載する、という手法が消費者金融にあった。

千円以上入れば、その月は長期延滞とは見做さず、不良債権、という分類扱いとなる。

不良債権までは、社の大きな処分の対象に換算されないのが、支店の成績を見る材料の一つだった。

これを防ぐ為、年に2回、抜き打ちでメインバンク、当時の阪神相互銀行が監査に入るので、発覚すると処分される。

消費者金融を解雇になると、2度とまともな所では働けない、というおまけつきである。

「兄ちゃん。ワシにそこまでさせるか?」

「すんません、サラリーマンも辛いんです」。

「仕方ない、書いちゃろう。しかし面白い兄ちゃんやのお。ヤクザにならんか?」。

「いえ、結構です。ではご迷惑をかけたので、広島支店には、確かにここには息子さんがいないと報告します」。

そう言い、ミラ・クオーレに乗り、5時間かけ下道で天神に帰る。

これを書いていて、恐ろしい事に気付いた。

小倉から車で高速で5時間、と言えば神戸に着く。
若い時は体が疲れぬので、何ともなかったが。

何ともあったのは、天神支店に帰ってからだった。

この経緯を日報に詳細に書かねばならず、漏れや嘘があると、これまた監査でえらい事になる。

山本はこの報告書を見て、身もふたもないことを言った。
「柳原。この手柄、ワシにくれや」。

刺青には抵抗したが、ここまで格好悪い男には抗えなかった。

即座に山本は、わざわざ私のデスクの上にある電話で広島支店に、電話をかけた。

山本の報告内容は、まるで私の言葉を、形態模写したかの如く、一言一句間違わずに報告している。

広島支店長が、労ったのだろうが「いやワシは刺青なんか、ガキの頃から見慣れちょりますから」と言った時には、思わずぶん殴ろうかと思った。

社員を雇い、まず思った。

社員に嘘を付いてはならない。
部下の手柄を取ってはならない。
格好悪い男になってはいけない。

今こうして笑って書けるのは、こんなことに慣れたからだ。

今思えば、広島支店長も心の中では、嘘だと思ったに違いない。

こうして考えると、反面教師は必要だ。
しかし、真の師を持つ事は難しい。

だから死ぬまで勉強せねば、人の上に立ってはならんと思う。

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