漫画編集者による意味のよくわからない言葉から漫画の本質に近づいてみようのコーナー5「それじゃあ売れっこないよ」
子どもの頃の興味は
週刊少年マガジンで仕事してたとき
とにかく始めた連載が終わっちゃって編集会議。当時のマガジンは(多分今も)担当編集チーム制だった。
「さぁ次はどうしようか、柳葉さん、子どもの時どういう事に興味があった?野球とかさなんかないの?」
少し考え込んだ。スポーツなんか全然興味なかった。漫画と絵画と……あ、一つ興味あることがあったな。
「歌舞伎を見に行きましたね」
「歌舞伎?」
「歌舞伎。当時まだ先代鴈治郎が生きてて、北条秀司も生きてて。新作歌舞伎なんかを一人で見に行ってました。小学生でしたね」
「あーーー、それじゃあ売れっこないよ」
と、チームリーダーがぼやいた。
これはとんでもない発言だ。
同じチームにいる人間を
「お前なんかダメだ」
と、公然言い放ってるわけだから。
この時ボクは
「ああ、もうマガジンでは仕事が出来ないな」
と、言葉よりさらに深いところで思った。
この言葉の何が問題かって言うと……
問題を順にあげてみよう。
①漫画家は傷つく。
②漫画家が描ける漫画は経験したことしかない、という判断をしている。
③漫画家の経験に売れる売れないの価値判断をしている
こんなところかな?これをさらに説明していこう。
①これは傷つくよね。ボクは漫画家は「売れない人がいることもある」てと思っている。売れる売れないは時の運みたいなものがある、と考えてるからだ。でも「売れない漫画家」なんて言葉は、漫画家を傷つけるための言葉でしかない。それを自分の担当している漫画家にぶつけるんだから、これはひどいね。
②これは絶対に間違っている。海賊王になった漫画家はいないし鬼と戦った漫画家だっていない。もし経験したことしか漫画に描けないとしたら、その人は漫画以前にやるべき事がたくさんできちゃうだろう。巨大ロボに乗っかって地球防衛とかさ。
③あるところに小児麻痺で脚が不自由な少年がいた。その少年は脚でからかわれるのがいやで、なんとかしたいと思っていた。家の近くに日本舞踊の教習所がありそこに通うことにした。少しづつ動けるようになった少年はやがて「歌舞伎の舞台に出てみないか」と言われるようになる。歌舞伎とない家庭だったけど少年はチャレンジする。やがて歌舞伎の世界で女形になった少年は代々続く歌舞伎の家柄の人たち、女形の大先輩と対立と和解をしていく……。
あ、これ実話を元にしてる。坂東玉三郎という歌舞伎役者の話なんです。
これ、漫画になると思うでしょう?
なるんです。
どんな話だって漫画になる。なんなら面白い漫画になる。
そのためにはテクニックが必要。
それだけのことなのだ。
で、今回のまとめ
漫画家にとって担当編集者は仕事のパートナーだ。パートナーとして相応しくない言動をとられたら、それはもう付き合うのはやめた方がいい。
往々にして漫画家と担当編集者は依存とハラスメントの関係に陥りがちだが、本当にちゃんとした仕事をしたいならそういう関係に陥らないように充分気をつける必要があると思う。
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