『海が走るエンドロール』に見るトリックスターの考え方2

はい、前の回に続いてトリックスターの考え方。まず役割語からそれを説明していきたいと思います。
役割語とは金水敏と言う学者さんが提唱した考え方で
ある特定の人物像(性別とか年齢とか階層とか)が話してると思い起こさせる話し方
という意味です。例えば「オラ東京さいくだ」という話し方を聞くと人は
これは東北の人が話してるんだな
と、思う。実際コレが何処の方言なのかわからないけど、なんとなくそう思う。ステレオタイプだけど、物語やお芝居などではこれが大変に便利なのだ。なんせ細かい設定を説明をしなくても「あーー、東北の、都会ズレしてない純朴な人」と、勝手に思い込んでくれるから。

じゃあ関西弁(エセでも)を聞いて人はどういう印象になるかというと
1 キザ
2 エネルギッシュ
3 冗談好き
4 ヤクザっぽい
こんなところでしょうか。これはボクの考えですが、関西はもともと文化の中心だった。骨董の漫画を描いたときに
「良い茶道具は関西にしかない」
と骨董屋が言っていた。茶の道=教養なわけだから、教養の中心だったのです(今はよくわからないですけど)。江戸…東京が形式的、手続き的な事に拘りながら運営されていくのに対し、関西…上方はそういう時代はとっくに終わってしまっている。だから本質的な事に目がいく。
そう、建前を笑い飛ばすような力強さを感じさせるようなところがここにはあります。それこそが、状況をかき回して次のフェーズに繋げていくトリックスターの要素なのです。

ですので、多くの漫画家にとって
トリックスター=関西人
と言う図式は染みついています。

これは便利ではありますが、同時に関西人出した途端に
「こいつ、トリックスター」
って見破られるそこの浅さにも繋がりかねません。
『ブルーピリオド』も『海が走るエンドロール』もこのステレオタイプの罠に嵌まっているように見えます(えらそうには言えない、ボクは嵌まりました)。
まだ連載の続いている二作品ですから、このステレオタイプの罠を逆手にとって読者の意表を突くと言うことはできると思います。
ここが作者腕の見せ所でもありますね。

連載漫画でトリックスターを出したい人は
何も考えないと関西弁にしちゃうぞ
と、まず自覚して下さい。そして自覚的にそれを活用して下さい。

作者はステレオタイプの罠に嵌まってはいけません。
罠に嵌まっていいのは読者です。
作者は罠を仕掛けるのです。

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