連載漫画のはじまりと終わりについて1
あるいは編集者の仕事について
漫画雑誌の定期連載がどうやって始まるか、みなさんはご存じでしょうか。大概は編集会議というヤツで決まるのです。
では、その編集会議で話すポイントは何か、というとこれは折々によっていろいろある。 売れるか 人気は出るか 二次商品はできないか 今だとこんな感じでしょうか。掲載誌にどういう貢献が出来るかというところでしょう。
終わる時のポイントは何か? 売れない 人気ない に尽きると思います。
ボクは長く漫画の世界にいるので、こう言う状況を当たり前と受け取っていました。が、ある日知り合いのコンサルタントにこの話をしたら 「それは変だよね」って言われました。 「始める権限は編集者にあるんでしょう?だったら終わらせる権利も編集者にあるんではないの?」 売れ行きみて編集者が決めてるけど? 「いや、それは違うよ。売れ行きって編集者の権限ではないでしょう?言ってみれば市場原理。どうしてそこで市場原理に任せるの?」 ? 「じゃあ逆に考えてみて。売れ行きいいのに、編集者の権限で終わらせる事はある?」 ないだろうね。終わらせたらバカ扱いされるでしょうね。 「言葉を替えれば、続けるかどうかって権限がないってことでしょう? 人気があっても不適当な内容の連載を編集者は責任をもって終わらせる、なんてことはできないわけでしょう? 始める時は編集者が権限もってるかもしれないけど、あっという間に権限を放棄してるよ、それ」 ああ、なんとなくわかってきた。 「権限と責任は裏表だから。権限の放棄って責任の放棄だ。連載継続についても終了についても、編集者は責任を放棄してるよ、それ」
確かに。 「何があっても売れてなくても最後までやらせる」なんていう骨っぽい発言を商業漫画誌で聞いた事がない。漫画誌以外ではある。ボクが週刊将棋で連載をしていたとき、回数を伸ばすお願いをした。編集長がそれに応えて、最後までやらせてくれたのです。じゃあ…漫画雑誌の編集者は一体何に対して責任を負ってるんでしょう?
これで思い至ったのが冨樫義博さんです。 ボクは冨樫さんの仕事っぷりが好きではない。下描きだかなんだか分からないものを平気で載せる神経がボクには理解できない。一説には『H×H』が載る号は三十万部売り上げが増えるそうだ。だからと言ってそれを載っける週刊少年ジャンプ編集部の神経も理解できない。
だが…冨樫さんと編集部がある種の緊張関係にいるんではないかな、と思うと、見える風景が変わってくる。冨樫さんにとって大事なのはあくまで自分の読者で、編集部は特に重要視していないとしたら。 中途半端な原稿を渡されても、継続と終了の責任を放棄した手前なにもいえない編集者と、読者との交流を背景に喧嘩を売り続ける漫画家、という図式が見えてくる。どっちも神経戦で綱渡りのはずだ。
この暗闘、実際にこうだったら確かに面白いのは面白いのですが……。あんまり健全な世界とも言えないのではないでしょうかね。 漫画界…というか出版界…というか経済界…もう少し考えるべき時が来ている気がします。
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