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上杉景虎が自刃した悲劇の城 鮫ヶ尾城

 新潟県の妙高にある「鮫ヶ尾城」に行ってきました。こちらは続日本の城100の内の1つです。

鮫ヶ尾城とは

 鮫ヶ尾城は隣接する信濃からの侵攻に対する重要な拠点の一つであり、川中島合戦を経験しながらも着実に国境付近まで勢力を拡大してきた武田信玄に対して、上杉謙信が拠点とした春日山を他国の軍勢から守る上で重要な役割を果たした城です。
 天正6年(1578)に上杉謙信が死去すると、養子である景勝かげかつ景虎かげとらによる後継者争いである御館おたての乱が勃発しました。
 はじめは優勢であった景虎方は次第に追い詰められ、翌天正7年(1579)3月に鮫ヶ尾城へ逃れ、数日の攻防の後に城内で自刃したと伝えられています。

アクセス

 こちらは車で行くしかないです。駐車場もありますが、かなり場所が分かりにくいです。私も一度カーナビにセットして向かいましたが、全然違う場所についてしまい、けっこう迷いました……。なので、本当に気をつけて欲しいです。

斐太遺跡ひだいせき

 斐太遺跡とは「弥生の山城」とも呼ばれる2世紀後半〜3世紀初頭の集団遺跡です。こちらには当時の竪穴建物跡が浅い窪みとして130箇所以上残っています。

住居

 また、こちらの遺跡や鮫ヶ尾城も含めて斐太遺跡の里にあります。

遺跡

 この遺跡は駐車場からすぐの場所にあります。

斐太遺跡

 続100のスタンプも、駐車場からすぐの場所にある総合案内所にあります。この案内所までは車の乗り入れはできないので、駐車場に停めてから歩いて登る必要があります。

 案内所までは近いです。こちらにトイレなどもあるため、本丸まで登る方は必ず寄ってから行った方が良いです。

案内所

 近くには斐太神社もありました。

斐太神社

 こちらの神社は鮫ヶ尾城の北東麓にあり、上杉氏が城の鬼門鎮守きもんちんじゅとして崇敬していたといわれています。因みに、境内には誰もいませんでした。

 鮫ヶ尾城は山城のため、主郭まで登るにはけっこう大変です。登る方はきちんとした装備で行った方が良いです。因みに、約2時間コースです。私が訪れた時は時間が遅かったので、主郭まで登るのは諦めましたが、また機会があれば登ってみたいと思います。

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