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合唱に希望はあるか (2020-04-13)

これまで何十年も(大戦後、あるいはひとりの人間が感知できるタイムスパンとしての「何十年」)ふつうだったのだから、しばらくしたらまた「ふつう」がやってくるだろう。

というのもまた、ある種の強烈なバイアスなのではないでしょうか。

僕は、多数の人と同時に密閉空間で会い、ときに飛沫をとばしあう仕事をしていたので、いまそれが大いに脅かされています。

合唱は、少なくともいま現在の状況においては、かつての姿を留めたままそれを行うことそれ自体が公衆衛生上危険な行為とみなされるようになってしまいました。ですので、すべての(従来の形での)合唱活動は現在ストップしています。先の見通しも、誰にもわかりません。

今後、いまの状況が多少改善したときに、合唱活動再開という話がでてくるのであろうと思います。しかしそれは、「やったぞこれで元通りだ」ということには決してならないでしょう。地球規模に拡大した新型コロナウイルスがほんとうの意味で根絶されることはおそらく無理で、新型インフルエンザ等に類するように、ほどほどに付き合っていく存在になるのではないでしょうか。

そういった事を考えたときに、(従来の形での)合唱活動は、すぐに当たり前のように社会に受け入れられる存在となりうるでしょうか。あまり悲観的なものの見方をするつもりはありませんが、「前と同じ」は現実的にありえないと思っておくことが良さそうです。

合唱という行為に内包されるプリミティブな喜び、生きている実感は、僕の人生にとってはもはや欠くことのできないものです。合唱に様々な形で関わるみなさんにおいて、少なくともその一部分の気持ちは共有できるのではないかと思います。

そして、いまそれが「前と同じ」にできないことに辛さを感じていらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。

note記事でも放送でもご覧いただいた方がいらっしゃると思いますが、いま「オンライン合唱」という試みをしています。あるいは合唱指揮のレッスンも、オンラインレッスンと形を替えて継続しています。

これらは、従来の合唱活動や合唱指揮レッスンを再現しようという視点に立って考えたとき、その代替になるとはとても呼べないほど多くの技術的問題に満ちたものです。一方で、実際にやってみるとわかりますが、今まで見逃してきた/聞き逃してきたさまざまな事柄に気づかせてくれます。別物と考えるのが賢明でしょう。

そしてそれはすなわち、現在の状況があってはじめて、「合唱」のなかにある自分が明示的に気づくことのできていなかった要素を認識できた、ということでもあります。「オンライン合唱」の試みは、そういった意味で、結果として合唱をより深く考えることに繋がっていると感じます。また、オフラインでの合唱活動が再開されたときにも大切な財産になるであろうとも。

僕は、どれくらいの間 #StayAtHome しなければならないのかわからないようなこの現状においては、オンラインを含めいま具体的にできる手法を試行錯誤しながら、それでも合唱の本質をみつめようと努めていきたい。またその際には、合唱やアンサンブル音楽という概念が拡張され、これまでとまったく違うあり方が生まれでてくる可能性も一切排除すべきではないと考えています。

歴史上どんな苦しい状況にあっても、その外的状況に対応するアンサーとしての音楽は、先人たちによって確実に受け継がれてきました。

現実をみつめながら最大限にクリエイティブにあることで、合唱にも大いに希望があると信じます。

ルドルフ・エッシャー: 平和のほんとうの顔


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