メディアの話その144 日本は狭いけど長くて、細かい。

日本は、カリフォルニア1州に入ってしまうほど小さい。

日本の「地方問題」は、

サンフランシスコとロサンゼルスとサンディエゴの間に

収まってしまうことになる。

日本は、ヨーロッパをまたぐほど大きい。

地球儀で眺めると

札幌東京間の距離は、

ロンドンからプラハやミラノやモナコあたりまで届いてしまう距離だ。

日本は大きいのか小さいのか。

田中小実昌さんの

旅の本を読み返して、

サンチャゴあたりをふらふらしている話と、

東北の青森や宮古の港町あたりをふらふらしている話が、

おなじように並んでいて、

思った。

うん、やっぱり、日本ってけっこう大きい。

なぜ大きいんだろう。

たぶん「地形」のせいだ。

コミさんのエッセイには「海」が出てくる。

しょっちゅう出てくる。

コミさんが海を大好きだからだ。

川も出てくる。

川も大好きだからだ。

小田原まで東玉川からバスを乗り継いでうっかり旅してしまったコミさんが、飲み屋で出会った女と「ちょろちょろ、なんかやってる」あと、

バスで熱海に向かう途中

眼下に海が見える。おそらく真鶴から湯河原を抜けたあたりの景色だろう。

「ぼくは海を見ると、たとえ東京の晴海埠頭みたいな、つまらない、きたない海でも、海、海……と海とだきしめあっているような気持になる」

さらに箱根を抜けて川沿いをバスで走って川が見えると

「海もうれしいが、川もうれしい」

なんなんだ、この無邪気さは。

たまらん。

・・・話がずれた。

コミさんが訪れる「酒と肴と女」のある街は、

実はたいがい港町だ。

そして港町のほとんどは、隔絶されている。

ほかの町から離れている。

隠れ里のようにある。

ひっそりしている。

理由は、日本の港町の多くが

リアス式の海岸の奥まったところにあり、

小さな流域の出口に位置するからだ。

港になるところは

浚渫しなくても海が深くなくっちゃいけない。

船が入れないからだ。

当然、海底まで深く切れ込んだ

リアス型の湾が港になる。

東京の近くだと

三浦半島の

横須賀や浦賀なんかが典型だ。

で、この切れ込んだ地形には

当然川が注ぎ込み、ひとつのこじんまりした流域をつくっている。

流域の向こう、つまり稜線のあちら側には

別の流域があって、別の港がある。

谷が深いから、隣町にいくのも一苦労だ。

かくして

流域ごと

港ごとに

まるでガラパゴスのダーウィンフィンチのように

細かく異なった風習だの文化だのいろんなものが蓄積されていく。

そして、隣の港町に行くだけで、

遠くサンチャゴの港を訪れたようになる。

コミさんが愛した「酒と肴と女」が待つ港町や温泉町は、

コミさんが愛した川が削り、コミさんが愛した海に注ぐ

流域の地形がつくりだした多様性の産物だ。

事実、

日本はカリフォルニア州とおなじくらいのサイズしかないけれど

海岸線は、世界の国の中で6番目に長くって、

なんとカリフォルニアどころかアメリカ合衆国全体より長い。

急峻な地形が生んだ細かな流域がたくさんあるうえに、

いくつもの島が点在しているからだ。

日本は小さくって、でも広い。

「地方」の問題を考える時、なぜ合理的になれないのか。

理由のひとつが、ここにあるかもしれない。

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