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メディアの話 2001年宇宙の旅への回答としての未来惑星ザルドス。

未来惑星ザルドスを見た。

子供の頃、テレビ洋画劇場で見て以来である。

胸毛のショーンコネリーと微乳のシャーロットランプリングがエロい。

それだけの記憶しかない。たしか中学のころだった。

我ながらアホである。

ただいま有楽町と新宿でやっているので、見に行った。

以下、無茶ネタバレ、である。

意外にも、とってもわかりやすい映画だった。

おそらく、いま、見たからだろう。

どういうことか。

監督のジョン・ブアマンが、21世紀になった今、みんなにとって当たり前となった近い未来と人類の課題を、1970年代前半にすでにはっきり見せている映画だったからだ。

2001年宇宙の旅が、いまみると、まったく難解じゃなく、むしろわかりやすい、というのと似ているかもしれない。

ブアマンの示したザルドスで投げかけた「一見ぶっ飛んだ物語」の背景は、超長寿社会の到来と、そのプロセスで起きる先進国と途上国とのあいだの差、あるいはAIの発達や、スマートフォンの普及といったことが可視化されないと、みえてこない。

「未来」に対する人類の欲望がデストピアになり得る。それをジョン・ブアマンが描こうとしている。

不老不死。永遠の命。性欲という野蛮な欲望からの解放。子作り子育てという野蛮な行為からの解放。仕事からの解放。睡眠からの解放。中央集権的な全知能=AIの存在。そのAIと端末でつながった人々。

労働も、子作りも、食糧作りも、野蛮人がやってくれる。その人口コントロールも別の野蛮人=エクスタミネーターがやってくれる。

でも、それって幸せ?

そんな映画である。

ここで2001年宇宙の旅である。ザルドスはこの映画へのオマージュである。

パンフレットにそう書いてあった。なので信じることにする。

たしかに2001年宇宙の旅とザルドスの物語構造は、そっくりなところがある。

2001年宇宙の旅には、真っ黒なかまぼこ板が出てくる。

モノリスだ。

モノリスは、人間の上位概念である。異生物(多分木星人)という名の「神様」だ。

その神様が、エテ公に知恵を授けて、人類にした。

そのうち人類は月まで行けるようになったら、

人類は月でまたモノリスに出会う。

そんな人類は今度は自分が神様になってAIを発明してみた。

そのAIに連れてってもらいながら、木星を目指す。するとAIは失敬にも暴走して叛逆した。

めげずに人類はAIを殺し、木星まで行く。

そこでモノリスと三度めの出会い。

次の人類に進化させてもらう。

2001年宇宙の旅は、、徹底的に、創造説の映画である。インテリジェントデザイン説である。アンチダーウィニズムである。木星の神様が、私たちをエテ公から人類に、そして木星までいけるネオヒューマンに進化させてくださった。そんな話である。

ザルドスは違う。

天からふってくるザルドスは、モノリスみたいだけど、モノリスじゃない。

道化師=人が作った。

中枢のAIも道化師=人が作った。

不老不死技術も人がつくった。ザルドスによってもたらされたエリート人類たちの社会システム(野蛮な行為=食糧生産と、性欲と出産と、殺人、の外部化)も人がつくった。

AIが中央集権的にコントロールしてくれる、眠らない、平和な、性欲のない、子育てもない、理想の、閉じた世界。それはあくまで人がつくった。

で、みんな退屈になった。死にたくなった。

壊すのは、胸毛だ。反応するのは微乳だ。

胸毛と微乳は、最後にネオヒューマンにならない。

むしろそれぞれがいったん昨日栽培種のように人工的に進化したエクスタミネーターとミライ人類になっていた。

それをやめてオスとメスに戻る。アダムとイブに戻る。

こちらは、創造説の明確な否定である。生き物としての人間からの脱出の果てに、生き物としての人間に戻る。

そんな物語である。

今の、超長寿社会。AI とシンギュラリティ。色々な話題の矛盾やデストピアぶりが、存分に提示され、その先まで見せてくれる。

胸毛と微乳が、である。

傑作です。

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