メディアの話その126 iPhone13と赤瀬川原平さんと写真がことばになる時代と。

iPhone13が発売された。

売りは、圧倒的に「映像」と「写真」である。

アップルの宣伝も、メディアの反応も映像と写真がすごい!に集中している。

アップル自体が「ポケットからハリウッド映画」という動画をつくっている。

写真もすごい。

世界中のプロ写真家が絶賛している。

落合陽一さんも、驚愕している。

さて、一方で、こんなiPhoneの「写真」「映像」推しについて、冷ややかな意見が以前からある。

写真や映像がいまよりすごく撮れるようになるのに、なんの意味があるの? 

いまのレベルで十分じゃん。

iPhoneも「革命」はないよね、と。

私見を述べる。

Appleやあるいは他のスマホメーカーが写真や映像に注力し続けているのは、単なるアイデア枯渇で、ほかにやることがないから、なのか?

たとえば、あのライカもついにスマホに進出している。

なぜ、写真なのか。映像なのか。

ポイントは、スマホの「カメラ」機能は、ただ写真をとったり、映像をとったりするだけに止まらないところが「革命」だった、という点にある。

なにが「革命」だったのか。

写真を、映像を、コミュニケーションの道具「ことば」に変えてしまったところが「革命」だったのだ。そして、だれもが写真家として映像作家として、発表できる「だれでもクリエイター」「だれでも映像ジャーナリスト」になっちゃうきっかけをつくったことが「革命」だったのだ。

かつて、写真はカメラで撮るものだった。しかもフィルムで記録するものだった。カメラで写真をとったら、現像所にフィルムを出し、現像してもらってプリントしてもらってはじめて、はじめて「写真」が手に入った。

その写真は、おうちのアルバムに貼られてだいたいおしまいだった。また、フィルムはけっして安くないから、36枚どりのフィルムを1年かけて使ったりした。昔の写真アルバムをみると、1年に数枚しか写真がない。おそらく50代以上の方の場合、大半はそんな感じじゃないだろうか。

2000年代半ばからデジタルカメラが普及して、写真ははるかにカジュアルな存在になった。なにせ何枚でも撮れる。ただ一方で、プリントアウトする習慣がすたれてしまったので、デジカメの写真の多くは「撮っておしまい」で、多くの写真がSDカードに死蔵されたままになったりしていた。

日本のケータイ電話にカメラ機能が盛り込まれたのは、1999年。

1999年9月に発売された、京セラ製のDDIポケット端末(現・ウィルコム)の「VP-210」からだったそう。ただし、「テレビ電話用に開発されたため、カメラのレンズが内側にあり自分しか撮ることができず、市場に受け入れられませんでした」とこちらの記事にはある。

ただし、実際にヒットしたのは、「2000年11月に登場したJ-フォン(現・ソフトバンクモバイル)のシャープ製端末「J-SH04」」からで、「爆発的にヒットし、ケータイカメラ普及のきっかけを作った象徴的な端末となりました」。

ケータイに搭載されたカメラは「写メ」として使われる、つまり、コミュニケーションの道具、いわば「ことば」として登場した。だからこそ、女子高生を中心に若い人たちに、圧倒的にヒットして、ケータイ+カメラ機能は、スタンダードとなった。

ちなみにそのとき、ケータイと写真を結びつけた技術者たちがつくったのが、モルフォである。

https://signifiant.jp/articles/morpho-ipo-1/

つまり、「写真」が携帯電話とセットになることで「ことば」に変身する、という革命は、日本から起きたのだ。

が、この「革命」のうねりをより拡大させる仕事をしたのは、Appleだった。2007年発売のiPhoneの発売以降、iPhoneの売りは、カメラの写真と映像機能の充実であり続けた。

かつての写真と映像は、個人にとっては死蔵される「記録」であり、たまに「作品」となった。写真と映像が「メディアコンテンツ」として人々に拡散されるためには、マスメディアのチャネルが欠かせなかった。つまり、写真と映像を、メディアとして使えるのは、新聞や雑誌やテレビなどに自分がとったコンテンツを配信できる「プロ」だけだった。

携帯の、スマホの写真機能は、この写真と映像の位置付け、とりわけ個人にとっての位置付けを完全に変えた。

写真はアルバムに死蔵されるものではなく、映像はビデオ収納箱に死蔵されるものではなくなった。

撮った瞬間、誰かに送られるコンテンツとなった。かつてのメディアのプロですら、できなかった、写真や映像のリアルタイム配信がだれでも可能になってしまった。

結果、私たちは、いま目の前で何かが起きた時、すごいものをみたとき、美しいものにであったとき、スマホを取り出し、写真をとり、映像をとり、場合によってはすぐにSNSに投稿したり、友達にメールやLINEなどで送ったりして、その「衝撃」「や「感動」を他人に伝えている。息をするようにもはや無意識のうちにやっている。

これは、すさまじい、メディア状況の革命だ。インターネットと、デジタルカメラの技術と、スマホの3つがあってはじめて可能になったことだ。つまり、写真と映像が「ことば」になったのだ。

本来の「言葉」ではなし得ない、まさに「百聞は一見にしかず」を体現する「ことば」として。結果、私たちは、以前ならば「ことば」で説明していたことを、スマホで撮って、写真や映像という「ことば」をだれかに送るようになった。大概の場合、従来よりはるかによくできた「ことば」として、状況を正確に伝えられるようになった。

スマホの写真や映像の機能があがる、というのは、私たちがより多くのより広い「ことば」を獲得することになる。つまり語彙が増える。文章力が増す。暗闇でも写せる。夜空を撮影できる。水中を写せる。遠くのものを、あるいは小さなものを写せる。スマホには、どんどん、写真と映像の「語彙」が増えていく。

もちろん、単体のカメラはもっとすごい映像が撮れる。でも、単体のカメラはいくらWi-Fiの機能がついていても、瞬時に撮った映像をシェアしたり投稿したりはやりにくい。一手間かかる。しかも機材が大きいから「いつでも」「どこでも」持っているわけではない。

その点スマホはもはや財布やカギ以上に常時身につけているものだから、どんな状況にでくわしても、すぐに撮影が可能だ。もはや身体と一体化した「写真」「動画」ということばを送る機能、それを私たちは持つようになった、というわけである。

そこで、唐突に赤瀬川原平さんだ。

まだ、携帯電話が存在せず、フィルムカメラしかない時代、1970年代から、赤瀬川さんは「写真」を「ことば」として駆使することで、世界の見え方を一変させる「革命」を起こしていた。

「超芸術トマソン」に「路上観察」。

「赤瀬川レンズ」で世界を切り取ることで、取り壊し寸前の建物の2階扉が、突然「芸術」として立ち上がってくる。

もちろん、撮って、現像して、印刷して、雑誌や書籍のかたちで私たちの手元に届くまで、膨大なタイムラグはあるけれど、赤瀬川さんがトマソンや路上観察で行ったことは、自らの観察眼をレンズを通してコンテンツ化して私たちに新しい世界を「語ってくれる」、まさに「ことばとしての写真」の提供であり、革命だった。

2014年に亡くなった赤瀬川さんが、もしいまも元気でiPhone片手に、世界を切り取っていたら。。。。そんなことを時々考える。

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