メディアの話その130 結局ドラえもんが世界史上最高のSFであり続ける理由。

結論から先にいうと、古今東西のSFの最高傑作はドラえもんだなあ、とつくづく思う。

なぜか。ドラえもんは、人間のなかにあるSF的なるものの本質を、第一話で完璧につまびらかにしているからである。

ドラえもんが最初に見せる「未来」は何か。

タイムマシンだ。しかも大仰なかたちをしていない。デロリアンのかたちもしてないし、巨大な機械もない。学習机の引き出しである。

すごい。ドラえもんのタイムマシンは機能に徹している。かたちは日常なのだ。機能だけが未来なのだ。

この日常が未来になる、というタイムマシンから現れて、ぼんくらののび太の便利を変えるけど、キャラは変えない、というのがドラえもんである。

かたちは、ずっと一緒。機能だけが、未来になる。

まず、「未来とはなにか」を冒頭で見せてしまったドラえもんがすごい。

ほぼすべてのSFはかたちが未来になる、という前提で展開される。そして、この前提はすべて外れる。鉄腕アトムの未来も、攻殻機動隊の未来も、ブレードランナーの未来も、エヴァンゲリオンの未来も、マトリクスの未来も、ターミネーターの未来もとっくに訪れているけど、いまは、そんな未来の形をしてない。

いちばん近い未来は、そう、1970年代初頭の練馬のお茶の間を凍結したままの、ドラえもんの日常なのだ。

だから、ドラえもんは、基本設定をほとんど変える必要がないまま、50年たっても「現役の作品」であり続ける。

一方、面白いのは、ドラえもんが示した「機能」は、きっちり予言通りに登場している。iPad的なものも、タケコプター=ドローンも。

ドラえもんの面白さは、人々が本当に欲する未来は今はまだないかたちでななく今はまだない機能の拡張なのだ、ということに徹している点にある。

かたちについて、人間は保守的だ。なぜならば、人間の身体という保守的な存在、人間の感性という保守的な概念とセットになるのが、かたちだからだ。

一方、機能について、人間はあくなき発展を追い求める。その機能とはなにか。

これは、メディア的に考えるとわかりやすい。

マクルーハンは、メディアとは人間の機能を拡張する道具のことだ、と言った。

では、どんな機能を人間はメディアによって拡張したいのか。

つきつめれば、たった2つである。

時間を支配すること。

空間を支配すること。

以上である。ひとことでいえば、メディアとは「時空を支配する」道具であり、メディア的欲望とは、時空を究極に支配したい欲望なのだ。

テレビも新聞も雑誌もラジオも、すべて時間と空間を支配する道具である。
自動車も飛行機も宇宙船も、時間と空間を支配する道具である。
と、書けばもうおわかりだろう。

ドラえもんは、最初から人間のメディア的欲望の究極をいきなり達成したところからはじまる物語なのだ。

ドラえもんの初期からの代表的な秘密道具を3つだけ選べ、といったら、全員がこの3つを選ぶだろう。

タイムマシン

どこでもドア

タケコプター

どんな時代にもどんな時間帯にも自在に行けるタイムマシンは、究極の時間支配メディアだ。

どんなところにも扉を開けるだけで移動できるどこでもドアは、究極の空間支配メディアだ。

二次元でしか移動できない人間に、空間を自在に飛び回れる自由を与えるタケコプターは、空間移動を究極的に自由にするメディアだ。

人類は、この3つのメディアの具現化をひたすら目指してきた。そのゴールをドラえもんはいきなり解答として示したとこから、物語をはじめた。

かなうわけがない。

だから、2030年も2040年も2050年も2100年も、人類の暮らしは、マトリクス的でもターミネーター的でもなく、あんがいドラえもん的、のはずだ。

未来に訪れるのは、新しいかたちじゃない。究極の時空支配を目指したメディア的機能の進化なのだ。

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