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やめることを、やりました


この春、息子は高校をやめた。
(厳密に言うと、通信制高校に転入した)

 

やめるまでのすったもんだは、あっという間のような。けっこう昔の話のような。

 

進学校から大学へ-という、一見、視界良好な進路をリセットした彼の将来は、完全なる未知の世界。世間的には不安しか感じなさそうな状況だが、母子は以前より楽しくやっている。

息子の一日はと言うと…犬の散歩〜ゴミ捨て〜アルバイト〜ときどき晩御飯作り〜ゲームとスマホ。悠々自適というか、適当に忙しく適当に暇で、実にうらやましい限りだ。


「そんなんで大学どうするの?」
「そもそも大学行くの? 行かないの?」
「来年の今頃はどうなってると思う?」

なんて考えだすと止まらなくなりそうだけど、なぜか私らしくもなく、その手の不安をしつこく追求しなくなってしまった。


学校辞めるのすったもんだの途中、息子は体調を崩した。高校1年の時に発症した「縦隔気腫」という胸元付近から空気が漏れる謎の病が再発したのだ。1年の時の発症原因は不明。改めて振り返ってみると、彼が高校への不満をもらした時期と重なった。

レントゲン写真の中にプツプツと映る空気の塊は、こらえきれずにもれだした気持ちのように見えた。

「一日8時間、居心地の悪い場所にずっと座って我慢しているのがもったいない」
「これまで自分の人生をちゃんと考えてこなかった」
「自分で決めたことをやりたい」
「高校を辞めるということをやりたい」

そう聞かされた時、彼の意思を尊重しようと思った。というのも、自分が職場を辞めたときの状態に似ていたからだ。

 

自分が自分らしくいられない状態

 

将来の家計を考えてスタートした転職だった。仕事の中身そのものに興味が持てず心から集中できない。数年頑張れば給料もあがるだろうし、職場にも慣れるかもしれない…と言い聞かせようとしたが、通勤の車内で涙が止まらなくなった。お金のためと言い聞かせて心にフタをして生きる日々は、折り返し地点を過ぎた人生の中で、とてももったいない気がした。


一方で、まだまだ長いはずの息子の人生の中の1年。「残り1年、辛抱すれば」とは言ってみたものの、成長過程の貴重な1年を、息を殺して過ごすほうが彼にとって良くないように思えた。

「自分はほんとうは何をしたいのか?」をいつも考えている人は「これはやりたくない」ということに対する感度が上がります。そして、生物が「これはやりたくない」と直感することというのは、たいてい「その個体の生命力を減殺させるもの」なのです。自分の生きる力を高めるものだけを選択し、自分の生きる力を損なうものを回避する、そういうプリミティヴな能力を高めることがこの前代未聞の局面を生き延びるために一番たいせつなことだと僕は思います。

 

 

とにかく高校があわない彼の状態を理解したし、尊重したいと思ったけれど、わたしの得意とする不安妄想と、“ちゃんとしなきゃ”精神とで、彼と自分を追い詰めた。

「将来食べていけるの?」
「通信制への転入はいいけど登校拒否はいけない」

 息子は縦隔気腫に続き、食欲不振、頭痛、腹痛、謎のしゃっくりが続くように。見るからに生命力が落ちていってるのがわかった。そして、そんな彼を見ているのが、自分自身もとてもつらかった。

 おかげで気がついた。この子が生きてるだけでありがたい。笑って生きてくれていればいいや、と。



 私の両親は私の生き方を『理解』している訳ではまったくない。なにをやっているんだかよくわからないけれど、楽しそうに生きているならそれでいいんじゃないと『放置をしている』状態にある。

 

 

すったもんだから4ヶ月。彼のことはもうだいぶいい具合に、どうでもよくなっている。たまに不安の薄黒い雲が頭上に現れてくるけれど、それまでの「育て方、間違った?」「親はどうするのが正解?」といった迷宮に迷い込むことがなくなった。

 

彼の価値観や選択に、勝手に立ち入って迷うことをやめたのだ。

 

悩む悩まないは息子の仕事だ。

 

 

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