どうして褒められているのに心から否定しちゃうのか
私は人からの称賛を受け入れられない人間でした。
例えば友達から「やんちゃんは、〇〇ができてすごいね!」と言われても、「そんなことないよ」とすぐ言っていました。
そうすると友達から「いやいや、だって頑張ってきているし、すごいじゃん」と褒められても
「いや、だってあれもこれもできないしで、ぜんぜんだめなの。大したことないんだ」と謙虚を通り越して全否定していました。
友達も私の態度に戸惑ってしまい、変な空気になってしまいました…
私だけでなく、人に褒めてもらっても全否定してしまう人はいるのではないでしょうか?
それは、せっかく褒めというプレゼントを真っ向から拒否していることになります。
さて、どうして私は人の称賛を受け入れられなかったのでしょうか?
人からの褒めを受け入れられなかった理由
それは、自分のことを認められなかったからです。
自分で自分を認めてあげられない。
前よりできたことを認められない。
やってきたことを大したことないと思ってしまう。
自分にとても厳しいのです。
人って不思議なもので、どんなに他人が褒めて認めてあげても、本人が自分にとても厳しく自分を認めることができないと、他人からの褒めを受けいれられないのです。
これは、ストイックに己をコントロールしているようにみえますが、
実はずっとまだだ、これじゃだめだ。こんなんじゃ…とまだとずっと自分を責めている状態です。
く、苦しい…
私は本当は承認欲求が強く、誰よりも認められたいのに、なんでこんな苦行をしているのでしょうか。
どうして自分を認められなくなったのか?
子どものころから、母に「そんなのもできないで!」と怒られて育っているので、どうしても自分ができる人間だと思えなかったからです。
できたとして、母に褒められようとうまく描けた絵を見せたら「漫画の絵みたいね」と失笑されたり、テストでちょっとできたとしても「そんなことぐらいで」と言われて鼻で笑われて育ちました。
なので、自分ができるがどうしても大したことないと思ってしまうのです。自己肯定感がとても低いのです。
私のように自己肯定感の低い人は、称賛を受け入れるのが難し人が多いのではないでしょうか。
しかし、私の母は本当に性格が悪いですよね。
母は子どもの少しでもできたことを素直に褒められない、しつけと称して相当厳しい言葉で子どもを支配するモラハラ気質の親でした。
でも、よくよく考えてみると、私は子どもの頃に性格の悪い、モラハラな母が言っていたことにずっと縛られていることになります。
素直に褒めてくれている友達のいうことより、母の言葉を信じているのです。
友達は私のいいところをわざわざ見つけてくれて、褒めてくれるすばらしい人格の持ち主です。
残念な人格の母より、性格のよい友達の言うことを信じたほうがよっぽ信憑性もあるはずなのに。
それから私はコーチングを受けまくり、母の言うことよりも、自分のやってきたことに目を向けるようになりました。
自分のやってきたことに目を向けるとは、他人と比べることではなく、昨日できなかったことが、今日できたらすごいと自分を認めてあげることです。
例え、うまくいかなくてもチャレンジしてきたことを認めてあげること。
今まで一生懸命泥水すすりながら(笑)がんばってきたこと。
あんな失敗や、こんな失敗があったなぁと認めてあげること。
いいこともあったなぁと思いだしてみること。
ちょっとずつで自分を認められるようになると、不思議なもので友達からの褒めを受け入れられるようになってきました。
人は結局、自分の気持ちに納得していないと、何事も受け入れられないものなのです。
褒めを全否定はせず、ありがとうと言えるようになりました。褒めてもらえてうれしいと伝えられるようになりました。
すると!相乗効果が生まれました。
自分のしてきた事を認める→友達や家族、同僚、上司からの褒めを受け止める→もっと自分を認められて自信がつく!!
なにこれ、すごい世界!私はこんなすごい作用を今まで無視して否定していたのか!
もったいない!!と気づきました。
ということで、自分を認めて、褒めを受けとめて、もっと自信をつけてたのしく生きようね!
そして、周りもいっぱい褒めてあげよう!
連鎖で、またまた褒められて、いっぱい稼いで幸せになろう!(すぐお金の話につなげちゃう)
おわり
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