心停止時指示(DNAR)について考えてみる② 患者・家族編
この記事は前回の①の続きとして投稿します。
前回はDNARって何なの?ってことと、医療現場での現状について話してみました。
DNARは心停止時のみに適応するものであり、積極的治療を差し控えるものではないということを話しました。
では続きを。
僕は普段は集中治療領域で働く看護師なので、入院した患者さん本人が意思決定をできないため、その家族やキーパーソンとなる人に代理意思決定を行ってもらう場面に多く遭遇します。
そこで決断を迫られる家族さんにとっては、重要な決断に、押しつぶされそうになることも考えられますよね。自分がこんな大事なこと(生死に関わること)を決断してもいいのだろうか。。。と
ここで大切なのは、
医療者・家族がどう思うかではなく、
自分で決定できない本人は、どのように考えているのだろう。
ということを考えられること。
この時、過去に本人がこんなことを話していた。とか、日頃からこういうことを話していたな。と分かればbestなのですが、
急に状態が悪くなり話せなくなるなんて普通は思わないですよね。
何かきっかけがなければ、普段からそういうことを話す人は日本ではまだマイノリティだとされています。
そうなると、本人の意志を推定しないといけないね。ということになってくるのですが、ここではもちろん医療従事者は協力する姿勢であるわけですよ!
特に人材が豊富な大きな病院などでは医師だけでなく、
看護師の範囲で言うと、家族看護や急性・重症患者看護専門看護師であったり、集中ケアや救急看護、緩和ケア認定看護師などのスペシャリストが在籍したりしていますので、支援を受けることがより専門的な支援を受けることが可能な病院もあるでしょう。
小さな病院などではそこまでのスペシャリストはいなくても、医療従事者は全員がそもそも医療のスペシャリストであるわけですから、医療チームの支援する姿勢はバッチリです。
キーパーソンとなる人は、自分だけで迷い、負担になることはなく、他者に協力を仰ぐことは、メンタルヘルスの面から考えても重要です。
大きなストレスに立ち向かうには、①出来事を正しく知覚すること、②社会的な支持があること、③ストレスに対し何らかの対処ができること(これは具体的に解決できるとかではなく、怒りを表出することとかも、その対処のひとつなのです)の3つの要素が大事になってきますから。
推定意思を考える過程としては、本人のいつも根底にある考えを共有したり、今までのエピソードをもとに推定できるきっかけを探していったりということです。他にもいっぱいありますが、簡単に言えば。
そして導き出された結果が、家族員みんなが本人の意思はこうだと思う。だからこの決定は良かったんだ。と納得できる結果であることが重要なのではないかと考えています。
医学的に、どう考えても蘇生処置を行うことが身体的に大きな負担になるということも少なくありません。その際には医師からのしっかりとした説明もあるでしょうし、それを加味して考えて行くことも大事だと考えます。一番その人の身体について専門的に診ている医師の意見ですから。
でも、先生に任せておこう。というのはまた何か違うのではないかなあ。と思っています。納得できないのであればいろいろ納得できるようにすることが重要です。
つらつらと述べてしまいましたが、重要なことは
医療者・家族がどう思うかではなく、自分で決定できない本人は、どのように考えているのだろう。ということを考えられること。
導かれた結果が、家族員みんなが本人の意思はこうだと思う。だからこの決定は良かったんだ。と納得できる結果であること。
じゃないかなぁということです。
今回は患者・家族編ということでしたが、一番伝えたいのは、
医療従事者は患者・家族の考えを支える立場であります。
妥協も大切なんだ。とか、
専門的に診てくれている人に意見を言うのはおこがましい。とか、
そういうことを思わずに、なにか困れば積極的に医療従事者に支援を要請して欲しいな。
ということです。
医療者としては、その支援を行った経験が積み重なることで、これから同様の悩みを持つ患者・家族さんに対してより質の高い関わりができるようになるわけですから。
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