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依存について

何か頼れる物が無いと、生きていけないという人が、この周りを気にしていないと生きていけない、精神疲労が募るばかりの現代には大勢いる。

特に、『毒親』と呼ばれる様な親を持つ人間や、インターネットを子供の頃からしている人間。
このような人間は、自分で判断することを諦めたり、周りからの承認を求めるようになり、周りに判断を委ねがちになるような環境で育っている。あくまで傾向なのだが。

そして、〝周りに判断を委ねる〟ということは、〝自分で物事を判断することが出来ない〟ということだ。例えば、「この王様なら、必ず自分達を導いてくださる」と、王に対して兵が、信仰・宗教的な考えを持ったとする。

そして、「〝信仰〟しているものが、間違いなど起こす訳がない」と、思うようになる。
具体例を出すのもなんだが、キリスト教など、外国の信仰者は〝神が間違いを起こす訳がない〟という考えを持つ人が多いらしい。まぁ神以外を信仰するものも多いが。それに僕は信仰する宗教、神が特にない為、あまり分からない。

つまりは、「自分達が選ばずとも、この人が居れば、正しい指示を出してくださる」「自分で決める必要がない」と思うのだ。
とはいえ、「この方が居るから、私は今日も幸せに生きられている」と考える信仰者も多いのだろうけど。

まぁ、これが所謂「依存」なのだろう。
これがあれば私は大丈夫、これがあるから生きていける。そのような考え。

よくある酒への依存は、辛かった事をアルコールでまるで無かったかのように忘れられる、これがあるから辛い仕事だって頑張れる、という感じで依存するし、オーバードーズは目眩に動悸に息切れに頭痛に吐き気に、とにかく沢山の不調に襲われるけど、代わりに多幸感を得られる。現世離れした幸せを、薬を飲むだけで得る事が出来る、という感じで依存する。
勿論僕はどちらにも依存していないし手を出していないから、本当の事は分からないのだが。

このような物に依存する人は、きっと現代に疲れた人間だろう。そして依存対象は、それを吹き飛ばしてくれる、なくてはならない存在。
体に毒でもやめられない、寧ろないと死んでしまうのではないか、というほどの恐怖に駆られる。
そういう人が、この世界には案外大勢いる。

いつの日か、何かに頼らなくても、自分で生きていけるように。人というのは自立しないといけないから。どれだけ辛くても苦しくても、依存は、自立した自分になる為には要らないものなのだから。

書いている僕までしんどくなってくるよう現実。
もう少しは、現実逃避して生きていたいね。



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