やりたいことを好きなようにしていたら、東京のど真ん中にタダで住めるようになった。

いま、山手線に囲まれた東京のど真ん中で暮らしています。茨城の田舎育ちの僕にとっては、これまで住んだことがないような場所。散歩をしているだけでも、ドキドキ、ワクワクします。

とはいえ、1ヶ月前までリヤカーを引いて旅をしていた僕にそんな立地の良い場所の家賃を払えるお金があるはずはなく、ほぼタダで、あるお部屋をお借りしています。


どこにでもいるような旅人・若者に、何故そんな幸運が転がり込んできたのか。



旅を中断し、東京へ。

1ヶ月前まで、仕事を辞めてリヤカーでの徒歩移動生活をしていました。自作の火鉢を積んで歩き、行った先々で出会った人と火を囲みながら飲み食いをして、毎日違う場所で寝袋にくるまって夜を明かすような生活。その様子をブログやSNSで情報発信しながら、資金・物資を支援してもらったり道中で面倒を見てくださる知り合いを紹介してもらったりしていました。


ある時、いろんなタイミングとご縁が重なって東京に戻って働くことになります。夜行バスのチケットを購入し、「さあ、久しぶりに東京へ戻るぞ。」とワクワクしながら東京へ戻ってきた。

ここまではトントン拍子に事が運んだのですが、1つだけ重要な事を忘れていました。


あ・・・ 住む場所ないわ。

さすがに東京で働くサラリーマンたるもの、「路上で寝袋生活すればいっか」とはなりませんよね(笑)それなりの荷物や仕事道具があるし、ゆったりと過ごす自分の時間も作りたいので。

ひとまず、幸運なことに勤め先のオフィスが一軒家で、お風呂やキッチン、布団、ロフトスペースがあったので、そこに居候させてもらうことになりました。

そんな中、東京のど真ん中にタダで住めるチャンスが舞い込んできました。

新しい職場での試用期間が終わり、正式に働き始めるようになった頃、「やっぱり自分の時間やスペースを持ちたいな」と思うようになりました。

たしかに職場に寝泊まりしていれば通勤のことを考えなくていいし、家賃や交通費の出費も抑えられる。でも、一人で過ごす時間をいつも回復や整理に充てる僕にとっては、職場での居候生活は逃げ場がなくて、ほんの少しだけ過ごし辛さを感じ始めていたんです。

そんな僕に、知り合いがSNSの投稿を見て連絡をくれました。


「住む場所、紹介できるよ^^」


紹介された場所に行ってみると、驚きました。だって、そこは山手線に囲まれた東京のど真ん中とも言える場所で、部屋の中も今すぐに生活できるくらい必要なものが揃ってたんです。その上、ひとまず使うときに連絡をくれたら自由に使って構わない、と。

「もう住む場所については諦めてようか」と心のどこかで折り合いをつけようとしていた矢先だったので、本当にありがたくて、嬉しくて、ホッとしました。

その一方で、これだけよくしていただいているのに自分からは何も返せていないことには、心のどこかでそわそわしてしまう気持ちもあった。

でも、「なんか、僕は何もお力になれなくて・・・」と言うと、その人は「いいの。会社を飛び出した勇気や旅の投稿でいい刺激をもらっていたから。」と言ってくれました。


こうして、1ヶ月前までリヤカー旅人だった僕は東京のど真ん中にタダで住めるようになりました。

やりたいことを好きなようにやってきて、本当に良かった。不安な時もあったけど、間違いじゃなかった。



やりたいことは、好きなようにやる。

僕がリヤカーを引こうと思いついたのは、ちょうど1年前の今頃でした。

囲炉裏の魅力と火を囲むコミュニケーションにとりつかれた僕は、「もっとみんなに知ってほしい!こんな場を必要としている人がきっといるはずだ!」と勝手に思っていた。そして、1つのアイディアが降ってきます。

そうだ! 囲炉裏を持って歩き回ろう!

この突拍子もないアイディアを簡単に解説すると、こうです。

“ 囲炉裏というものは、そのほとんどがアクセスの悪い場所にある古いお家に置かれているもの。そこに行った人しかこの素晴らしさに触れられないのはもったいない。だったら、僕がその囲炉裏を持ち歩いて、日々出会う人と火を囲んで過ごしたらいいじゃないか!そしたら、この素晴らしさをもっと多くの人に伝えられる!”


当時の周りからの反応はというと、はっきりと2つに分かれました。1つは、「いいね!頑張って!」と面白がって応援してくれる人たち。もう1つは、「別に歩きじゃなくても良くない?」「それ、やってどうするの?」「今やらないといけないの?」と、僕のやることやそのやり方に疑問を感じていた人たち。

こういう時、僕は「そうだね。いろんな意見あるよね。わかるよ。でも、僕は僕で好きなようにやります。」って思います。これは、別に自分と違う意見に拒否反応を示しているわけではないし、頑固なわけでもなくって。


自分の中に芽生えてきたアイディアややり方を自分自身が尊重してあげることこそ一番大切だな、と思っているんです。

今回のリヤカーの話でいうと、一部の人には疑問視された「リヤカー」「徒歩」っていう移動手段を選んだのは、「歩きという一番遅い移動手段で動くことで、一人でも多くの人に会える。そして、その度にメッセージを伝えられる。」という仮説が僕の中にあったから。

実際にやってみたら、その仮説は正しかったです。本当に多くの人にメッセージを伝えられて、その交流はSNSを通してリアルからネットにも広がった結果、知り合いじゃなかった人たちや訪れたことのない場所からも「うちにも寄ってよ」と声をかけてもらえるようになった。

これはすごく嬉しかったし、いろんな方の手を借りて自分自身でアイディアを形にできたことやそのアイディアが実際に現実に通用したということは自信になりました。

当時は予想もできなったけれど、今となってはこうして東京に住めるきっかけにもなった。


一方で、「ああ。あの人の言ってた通りだったわ。失敗したなあ・・・」ってこともありました。でも、こういう時って、本当の意味でその人のアドバイスのありがたみと意図を理解できると思うんです。そして、もう二度と同じ苦しい思いはしたくないから、同じ失敗をしなくなる。

それが、例えば自分のやり方よりも他人のやり方を尊重して失敗していたらどうでしょう。僕は、こういう時になんとも言えない、居場所のない気持ちに襲われます。自分で決めたやり方で失敗したのなら全て自分のせいにできるけれど、それよりも他人の意見を優先して失敗した場合は結局誰のせいにもできず、「あの時、自分を信じていればよかった」という深い後悔だけが残るんです。

初めてその気持ちを味わった時、たとえ結果的に人よりも遠回りすることになっても自分の気持ちを信じて生きていこうと決めました。


自分の中に信じてみたいと思える仮説が立てられた時、僕はそれを一度信じてみる。検証してみてそれが正しくても間違っていたとしても、そこから得られる学びや感謝、痛み、苦しみはきっとかけがえのない財産になり、他の誰のものでもない『僕の言葉』になるから。



自分を偽って得たものは、虚しい。

僕が、こうして『自分の言葉』にこだわるのには理由があります。


3年前、新卒採用で入社した会社がありました。当時の職場では、よく聞くような職場での人間関係トラブルはなく、仕事にもやりがいを感じていました。残業はそれほど多くなく、お給料もそこそこ貰える。今振り返ると、恵まれた環境だったと思います。

ただ、1つだけ大きなモヤモヤを抱えていました。

というのも、その頃は職場にいると四六時中先輩やお客様の顔色を伺ってしまい、その人たちの機嫌を損ねないように過ごしていました。そのため、誘いや仕事をなかなか断れなかったり社内生活や仕事に窮屈さを感じてたりしたんですよね。

そうして得られるお給料や待遇に対しても、だんだんと感情がなくなり、虚しさをも覚えるようになりました。それでも、「みんな初めはこういうことを我慢しながら頑張っているんだろう」と自分に言い聞かせながら働いて、気づけば1年が経っていました。


そんなある日、偶然知り合った方にこう聞かれました。

「山崎君、本当は何がやりたいの?」


すぐには答えられませんでした。自分を偽って過ごしてきた結果、自分の感情や意思を失いかけていたのだと思います。心の奥底からやっとの思いでそれらを手繰り寄せてみると、何かが一気に溢れてきた。涙目になって、顔を火照らせて、その人に自分の言葉をぶつけました。

その時、「もう『自分の言葉』だけは失いたくない。これを見失って生きていったら、絶対後悔する。」と思いました。それからは、周りの人からしたら少しこだわりすぎじゃないかってくらいに自分の感情や経験を大切にするようになったし、こうしてブログなどに書き留め、言語化することも癖になりました。



もらった恩は、次の人に渡していこう。


こうしてみると、僕は本当にいろんなことを勉強させてもらいながら生きているなあと思います。そして、そのほとんどは関わる人から学ばせてもらい、人から学ぶ機会をいただいている。そう思うと、出会ってくださった方々への感謝の気持ちがとめどなく溢れてきます。

ほんとはその感謝の気持ちを、今すぐにでもその人たちに返したい。でも、今の僕にはその人たちが困っていることを解決出来るだけの知識も、人脈も、経験もありません。以前はなんだかそんな自分が小さく感じて、ご恩を返せないことに申し訳なさを感じていました。

それが、ある時、ある言葉に出会ってから考え方が変わりました。


恩送り


恩送りとは、誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送る、渡すことを指す言葉。初めて僕がこの言葉を知ったのは、ヒッチハイクをしていた大学生の頃です。

初めてヒッチハイクをした僕は、ヒッチハイクが成功したことと運転手さんがすごく親切にしてくれたことがすごく嬉しかった。だから、何かお返しがしたくて、車を降ろしてもらった時にそわそわしていたんです。すると、それを見て運転手さんがこんな言葉をかけてくれました。

「俺はなんもいらないよ。その代わり、誰かが困ってるのを見かけたら今度はお前が助けてやるんだぞ。」

リヤカーを引き歩く移動生活中にも、そのような言葉をかけてくださる方々にたくさん出会いました


こうして、いま僕が東京で仕事や生活ができているのも、本当にいろんな方々のおかげです。心の底から、感謝しています。でも、すぐにはその人たちにご恩をお返しできない。だから、これからも僕がしてもらって嬉しかったことを出会う方々に送り、渡していきたいと思っています。

そうはいっても、いつまでも貰うばっかり、渡すばっかりでもいけないと思っています。いつかきちんと感謝の気持ちを形にしてお返しできるように、今は目の前の明日一日を一生懸命に駆け抜けていきたい。



最後に


書き終わってみたら暑苦しい僕自身の備忘録のようになってしまいましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

旅や仕事など、もしも何かを一生懸命に頑張っている方が読んでくださっていたら、明日も、これからも、一緒に頑張りましょう。

やりたいことを、好きなようにやりましょう。


きっとその過程で味わうものは全てが自分の血や肉になり、きっとその先には今の自分には予想もできないような未来が待ってくれていると思います。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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