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ケン・ローチとコルナイ・ヤーノシュ

是枝裕和、ケン・ローチ『家族と社会が壊れるとき』(NHK出版新書、2020)
 めっちゃ長い。『私はダニエル・ブレイク』はよかったなあ。この本を読んで、ローチ監督が自らを「社会主義者」と名乗っていることを初めて知った。ローチ監督は、今の英国の貧困、格差社会の原因は、あれこれの政治家や政党の稚拙で愚かな政策が原因というのでなく ― それももちろんおおいにあるが ― 国の骨組みそのもの、つまり資本主義にあると信じている。
 「かつて労働は、一日八時間、週五日制、家族を養うことのできる適切な賃金、終身雇用が保障されていましたが、それらはすべてなくなりました。今は多くの人が、仕事がなくなること、つまり失業や、保障のなさに脅かされています。一週間に何時間働くのかもわかりません。賃金は増えたり減ったりします。」(p.93)
 「彼らは一日十二時間、あるいは十四時間働き、しかもときには二つの仕事を掛け持ちしています。排気ガスは環境汚染につながり、お店が消えれば地域のコミュニティも崩壊します。そして最も悪い影響は彼らの家族に及びます。とくに子どもたちは、家族という環境を失います。なぜなら両親が夜遅くまで長時間働いて家にいないからです。」(pp.7-8)
 「ええ、私たちもあらゆる類の批判を受けていますよ。『我が国の敵』だとね。なぜなら支配階級は、自らの利益こそが国益だと思っているからです。新聞社やテレビ局でさえ、富裕層や権力層の利益が、国益と同じものだと解釈しています。彼らはいまの経済システムが『窃盗』に基づいていることに気づいていません。つまり、支配層を豊かにするために、人々の労働力を盗んでいるのがこのシステムだということに、です。」(pp,97-98)
 とはいえ、それでは彼の信奉する社会主義がこの問題をどう解決するのか。それが示されていないので、はしごを外された気持ちにさせられる。
 200年前、同じ国で活躍したディケンズのように貧困と子供の不幸と格差を告発し続けるローチ監督とその作品を私はもちろん尊敬する。けれど「ではどうすればよいか」を考えるときに芸術家としての監督の限界を感じざるを得ない。いったい、監督の信じる社会主義システムが実現すれば、本当に貧困や格差がなくなるのか。その答えについて、コルナイ・ヤーノシュ『資本主義の本質について』(溝端佐登史ほか訳、講談社学術文庫、2023)が示唆しているように思う。
 コルナイは1928年、ハンガリー生まれの世界的経済学者。この本は門外漢の私にはとてもとてもとても難しい内容だが、ソ連型社会主義から資本主義への移行を体験した経験がその信念を育てたことはよくわかる。「私の国での戦争、ホロコースト、ナチスの支配からの解放、共産党を通じての社会主義の到来、1956年のハンガリー革命とその敗北、社会主義再建、1960年代の市場社会主義と人間の顔をした社会主義の実験とその失敗、社会主義体制の崩壊と資本主義体制への回帰、民主主義による独裁との置き換え、現在の金融・経済危機などが、それらの出来事である。」(p.343『補論2 一人の東欧知識人の目に映るマルクス』)
 マルクスの社会主義思想と実際に地上に出現したソ連型、中国型「社会主義」とは無関係だという主張があり、それは政治・経済思想としてのマルクス主義を圧倒的批判から擁護しようとする試みである。しかしソ連型社会主義社会の中で生きてきたコルナイは「問題は、マルクスの理論的思考と社会主義体制の歴史的現実との関係である。私の『答え』はこうである。マルクスのプランは実際に社会主義体制によって実現されてきた。このような厳しい発言を聞いて驚く人がいることを私は知っている。しかし1917年以降の共産主義地域で起こり、1989年まで存在したものは、基本的にはマルクスが資本主義に置き換わるものとみていた社会主義体制が実現したものであった。」(p.348)
 急いで付け加えると、コルナイはマルクスを否定していない。「共産主義崩壊のとき、マルクスの思想も崩壊したとするのが一般的見解となった。そして、経済危機の後、マルクスに言及することが流行になった。しかしこの極端な揺れは正当なものではない。今日の時代を理解するために、マルクスの思考のいくつかは手助けになる。しかしマルクスの思想を評価している学者でさえ、資本主義の最終的崩壊という議論を支持していない。」「私はマルクス主義者かどうか尋ねられる。明確に否定する。(中略)私は、さまざまな学派の思想を統合するよう努めてきた。そしてもっとも影響を与えたのは誰かと問われるなら、シュンペーターとケインズとハイエクだが、そのリストの最初に来るのはカール・マルクスである。」(pp.350-351)というのだ。
というわけで、あれかこれかという体制選択をするときに、多数派の人々にとって耐えられそうもないほどつらい問題はどちらにもある。けれど、その二つの体制の中を生きてきたコルナイさんは「日本語版への序文」の中で書く。「しかし、究極的に資本主義は受け入れなければならないシステムなのである。」(p.31)
 「有害な影響があれば、それを捨て去りシステムを改善し、資本主義に内在するシステムに特殊な悪い特性により引き起こされる苦痛を和らげることは意味のある貴重な努力なのである」とコルナイさんはいう。ローチ監督の糾弾する貧困や拡大する格差、労働者の諸権利の剥奪は、「有害な影響」「資本主義に内在するシステムに特殊な悪い特性により引き起こされる苦痛」であって、それを改善し和らげる「貴重な努力」をすべきだというのである。革命的解決法は、魔法の杖はやっぱりないのですね。やれやれ。それではその「貴重な努力」をすべき人はどこにいるのか。それがなかなかみつからない。

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