見出し画像

Rise and Kill First の教え

ロネン・バーグマン『イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上』(小谷賢一監訳、早川書房、2020年)
 「600万人も虐殺された歴史を持つ民が、どうして虐殺する側に立つことができるのか」というのは、全く的外れ。なんと甘っちょろい間抜けな考えであったのかと思い知らされた。「600万人が虐殺された」という前提は正しい。しかしそこから導かれるのは、必要とあれば、「脅威」とみなした相手を殲滅することをためらわないという思考様式だった。悲劇を体験した者は、相手が同じ悲劇に見舞われることは避けるだろうなどという甘たるいセンチメンタリズムとはもうまったくの無縁ということだ。
 「パレスチナのユダヤ人は、ホロコーストからいくつもの教訓を学んだ。ユダヤ人はこれからも常に絶滅の脅威にさらされるに違いないこと、ほかの民族に頼っていてはユダヤ人を守れないこと、そしてユダヤ人を守るには独立国家を持つしかないことである。このように絶えず絶滅の危機を感じながら生きる民族は、どれほど極端な手段を用いてでも安全を得ようとする。そのためなら国際的な法や規範に反するのもいとわない」(p.55)
 ユダヤ人、と一口に言ってもさまざまだ。第二次世界大戦時に、パレスチナ地域で殺し合いをしていた宿敵、英国の支援を受けて欧州大陸で活動した「ユダヤ人旅団」の兵士で後にイスラエルの軍事情報機関の創設にかかわったモルデカイ・ギホンに著者はインタビューしている。ギホンは著者の質問に答えて言ったという。
 「ほんの数人しかドイツ人警備兵がいない収容所で、なぜ数万人ものユダヤ人が奮起もせずおとなしく虐殺されていったのか。当時も今も私には理解できない。どうして彼らはドイツ人を八つ裂きにしなかったのか?いつも言っていることだが、イスラエルの地ではそんなことは起こり得ない。あのときユダヤ人コミュニティに立派な指導者がいたら、状況はまるで違っていただろう」イシューヴのシオニストたちはその後何年もかけて、ユダヤ人は二度とそのような虐殺の犠牲になることも、いとも簡単に血を流すこともないのだと、世界に、そして自分たち自身に証明することになる。こうして600万人の恨みを晴らしたのである。」(p.49)
 国際社会の承認を得て合法的にユダヤ人国家の成立をめざす立場をこの本では「政治的シオニズム」と呼ぶ。そういう穏健派もいた。一方、虐殺を見て見ぬふりをしていた国際社会の承認など待つ必要はなく、「約束の地」パレスチナに行き、その地を開拓して自らの力で故郷を創出しようという立場を「実践的シオニズム」と呼ぶ。「イシューヴ」はイスラエル独立前のパレスチナ地域の初期ユダヤ人コミュニティを指す言葉のようだが、そこでは徐々に「実践的シオニズム」が主流となった。それは周囲のアラブ人、委任統治している英国との日常的衝突のなかで培われていった思想的立場ということらしい。英国はアラブ世界からユダヤ人移民の急増への不満・非難を受けユダヤ人の移民流入を抑制していたが、ユダヤ人はこの施策を「反ユダヤ主義」ととらえた。
 ロシアからパレスチナにやってきたユダヤ人たちが、この「実践的シオニズム」の台頭に影響を与えたと著者は書く。それによると、彼らは「Народная воля(ナロードナヤ・ヴォーリャ、人民の意志派)」の関係者。1881年にアレクサンドル二世を暗殺し、1887年にアレクサンドル三世の暗殺に失敗し壊滅した革命主義者のことだ。皇帝暗殺事件を主導したのが「人民の意志」というユダヤ人が主要メンバーの秘密結社だという情報が大々的に流布されたことは、もとから根強くあったロシアの反ユダヤ主義に一層油を注ぐことになったのだが、それはともかく。
 なんと。パレスチナ地域のユダヤ人とパレスチナ人の武力衝突の淵源の少なくとも一つは、ウクライナでも戦争をしているロシアだったのだ。ああまたしても。
 この本は図書館で借りたが「貸し出し中」が続き、予約してから二カ月以上待たされた。それだけのことはあって、勉強させられます。タイトルはどこか際物っぽいところもあるが(さすが早川書房編集者)、著者はケンブリッジのPh.D取得者で敏腕のイスラエル紙ジャーナリスト。資料写真は豊富で上巻542㌻中、90㌻分は原注が占めるアカデミックなお作法も弁えた内容だと思う。知らんけど。
 元のタイトルは「Rise and Kill First」。タルムード(ユダヤ教聖典)の「敵が来たら先に殺せ」という言葉らしい。敵に塩、とかそういうのとはもうまったく無縁な世界なのだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?